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フロイドのニュースに接して

NME Japanに「デヴィッド・ギルモア、ピンク・フロイドの再結成は絶対にやりたくないと語る」というゴシップ的記事が載った。妄想が暴走した。

「1985年にピンク・フロイドを脱退したロジャー・ウォーターズは・・・」という記述はやや不正確な気がする。ウォーターズはフロイドを『Final Cul』をもって解散できたと考えた。でも他のメンバーは解散したつもりはなく、結果的にウォーターズだけが飛び出した形となり、彼抜きのフロイドが再結成されてしまった(というかロジャー抜きで継続してしまった)。『Final Cut』を完成した頃のウォーターズに他のバンドメンバーの気持ちを慮る余裕はなかっただろうと容易に想像もできる。完璧主義ウォーターズの偏執狂的な態度や描き出す世界自体が嫌いだったリック・ライトをギルモアが何とかバンドに戻すにはウォーターズがいなくなる必要があった。そこでこの勘違い的な「解散」が利用されたのだ。

解散したつもりのウォーターズがいない方が、確かに残りのメンバーにとってバンド運営はやり易かっただろうが、ウォーターズのいないフロイドにはかつての緊張感は失われて、人間世界を描くコンセプチャルなところの薄まった、ギルモアによる「フロイド風バンド」になってしまった。人間世界の要素は薄まって、神のような視点のみで音楽が展開される。

一方ロジャーは恐ろしく広い人脈を利用したソロ活動で『The Wall』の続編的なアルバムを作り続けるが、ギルモアの神懸かったギターソロは失った。二人のリーダー格の軋轢の間でリチャード・ライトは病気になって若死にし、音楽家に徹底した態度でバンド内ポリティクスには関心がないかの狡猾ニック・メイスンは、風見鶏的に勝者ギルモアの方に付き、死を免れたフロイドを最後まで支えましたとさ。[背景描写は全て筆者の妄想に基づく]

(あたしはウォーターズのコンセプトもギルモアの音楽性も好きだったので、なんとか一緒にバンドを続けて欲しかったけどね。)

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