見出し画像

かくも容易に単独犯説だけに傾いていく大手報道

警察の捜査も取り調べも、事実の究明ではなくて、最初から権力側に都合の良いシナリオで強引に進めていくものだから、今回の安倍元首相暗殺事件の警察の捜査からも都合のいい事実しか表には出て来づらいだろう。ここ36時間くらいの間に出てきた、元首相(あるいは自民党政権)と統一教会のつながりが、今回の事件の真相のすべてなのか、それも疑ってみる価値のあることだと思うが、おそらく「(公開できない名前の)団体への恨みによるもの」という辺りでシナリオは完成し、収拾するものと想像している。(あるいは、賞味期限切れの統一教会を政権中枢からから切り捨てることが可能になった時点で、あからさまに「統一教会が・・・」という報道に切り替わる可能性もある。)

少なくとも、政治・政策的なことへの恨みが暗殺動機ではないということが非常に早い時点でリークされたのは、むしろ不自然なことだと自分には感じられた。むしろそういうことへの恨みだったからこそ、早い時点でそちらに国民の関心が向いたり共感が広がる前に、「統一教会への恨み」というたったひとつの線上に犯罪動機を収斂させていくことが決まった(あるいは決められていた)と考えられないだろうか?

J・F・ケネディー暗殺をオズワルドの単独犯であると信じる人間は今時ほとんどいないだろうが、それでも彼が単独で犯行に及んだというシナリオは最初から用意されていたし、一定数の人々がそれを信じるような状況や人物的背景もすべて用意されていた。というより、すべてを彼に背負わせて「死人に口無し」よろしく、殺すことまで計画・実行されたのだった。

私はその点で言うと、今回の事件が実行犯による単独の犯行であったことさえも、一度は疑ってかかるべきものだと思うし、大抵の政治的事件(テロと呼びたければそれでもいいが)というものは、そのような背景や人的つながりがとことん調べられるものである。もし実行犯以外に今回の犯罪に関わった人がいるなら、社会は危険なままだからである。だが、現時点での捜査関係者からリークされてくる情報から視るに、山上徹也容疑者の単独犯であるというストーリー建てだけで捜査が進んでいるようにしか思えないし、大手マスコミは警察の広報のような報道に終始し、こうした可能性について十分な突っ込みをしているとはまったく言い難い。独自の取材もほとんどなく、我々が本当に知りたいことは報道されない。

もうひとつ今回の暗殺事件後から自分がちょっと不自然に感じられていることのひとつは、一見して「筑摩の友」のように常に共に安倍政権内で行動していた麻生太郎がまったく表に出てこないことだ。これは彼があえて出ないようにしているか、メディアが何らかの理由で彼に忖度して取材しないでいることしか考えられず、今こそ麻生節をこの人物から引き出すべきではないかと思う。ひょっとして彼が安倍がこのタイミングでいなくなってくれて都合が良かったと思っている人物であれば、むしろそういう可能性のある人間こそメディアは積極的に取り上げるべきである。

ソーシャルメディアを中心に「安倍は殺されていない」ようなことを暗示させる陰謀説が拡散しているが、このような次元の陰謀論で我々は撹乱されるべきなのだろうか。むしろ、安倍暗殺があったという前提で、今回の事件の真相の伝わり方の中にこそ陰謀臭い部分があり、利を得た(得るであろう)人間がいるはずだと自分は睨んでいる。その意味では「統一教会」だけに犯行動機が収斂して行き、広く一般民衆がそれで納得してしまうことが、どれだけ支配者層にとって都合がいい納得の仕方か、そこにこそ我々は気付き、疑いの眼差しを一度は向けるべきではないかと自分には感じられる。

いずれにしても犯行現場における状況の個々人による思い思いの分析などよりも、これまでになされてきた公式発表の中の怪しそうなことや、状況の不自然な部分から様々な取材の突破口が大手メディアでも見出せそうなのであるが、ジャーナリズムが日本のように形式化して真の役割を果たせていない状態下では、真相は容易に闇に葬られてしまうだけでなく、そうした「事件」を政治利用して自らの利益を最大化するような連中だけが跋扈する世の中になるばかりではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?