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ダライ・ラマのワクチン接種について

ダライ・ラマ14世が新型コロナのワクチン接種をしたことがニュースになった。それをタイムラインでシェアする人も散見された。シェアした人の多くは自分の意見も付けずにただそうしているだけなのだが、幾人かの投稿者は「ダライ・ラマですら接種したのだ」(だから受けられる誰もが積極的に接種すべきだ)といった接種奨励の理由として利用しているらしいことが伺える。

ダライ・ラマの選択のニュースで論じることができることはいくつかあるのだが、こうしたニュースをためらいなくシェアする人がひょっとすると忘れているかもしれない論点がいくつかあるのではないかと思うので、忘れないためにいくつか書き残しておく。

まず評価できる部分について最初に言っておけば、彼はワクチン接種を準備する一方で何かにつけて言い訳をして率先して接種したがらない諸国のリーダーたちや、ワクチンを開発した当の製薬会社CEOがいる中で、積極的に接種することを呼びかけるべきだと考えたとき(その判断の是非はここで問わない)、それを自分が範を示すことで達成しようとしたことは肯定できると考える。それはリーダーの資質の問題を論じるならば、という非常に狭い問題圏における話である。つまり接種自体の是非の問題を脇に置けば、リーダーとして素晴らしい資質を持っているということである。それは認めてもいいことだと考える。

だがその点を除けば、接種そのものについて論じざるを得ない。今回たまたまダライ・ラマは接種する方を選んだが、もし彼が忌避することを選んだら、今回シェアした人たちはやはりシェアしたのだろうか? 彼が接種することを選んだから、それは接種奨励派の人々にとっての利用価値が発生したと考えたからなのではないか。つまり彼らはダライ・ラマについて普段から考えたりその思想や発言に賛同したりしているから、一貫してこの接種についても支持している、というよりは、今回たまたま利用価値の面で評価できただけなのである。

法王ダライ・ラマ14世に帰依している人々や、ラマ教(チベット仏教の一派)の信者たちは率先して彼に続くであろうが、帰依しているわけではないであろうわれわれのような人にとって、インフルエンサーとしてのダライ・ラマに利用価値があるとなればそれを援用しているだけなのであろう。

ダライ・ラマは宗教指導者としての側面を持つだけでなく、信仰的伝統としては観世音菩薩(アヴァロキテシヴァラ)の化身である。その真偽はわれわれには知る由もないことだが、少なくともワクチン接種をしたことからしても、どう少なく見積もっても彼が「人間でもある」ことは確かだ。そして、ダライ・ラマが人間である以上、間違うかもしれない。彼が相当に聡明な人物であることは様々な点から私は認めるにやぶさかでないが、間違う可能性があるというのは、人間に対するフェアな評価だと思う。だが、「ダライ・ラマともあろうお方が絶対に間違うはずがない」という希望的観測、あるいは信仰・信条に立脚しようというのであれば、別の機会に(例えば政治的に)万が一でもダライ・ラマが間違った選択をすることがあっても、それを公平に評価することはできず、ダライ・ラマ14世と共に間違った道を歩まねばならない。それは大いなる悲劇にもなりうる。

そして何よりも、ダライ・ラマはワクチン接種によって自分の身体に起こるかもしれないことについては自己責任であるが、今後ワクチン接種によって人類全体に起こるかもしれないリスクについて責任を取れる立場にはない。むしろ、そのインフルエンサーとしての影響力の大きさは計り知れず、誤った場合は、彼を信頼した為に誤りの規模が極めて大きなものになる可能性もある。

自分はダライ・ラマ14世を一人の信心深い宗教者として敬愛するし、彼が精神的指導者として支配することが定められていたチベットに起きた悲劇について大いなる同情や怒りを覚えるが、それとワクチン接種の話とは別問題である。むしろ現下の法王ダライ・ラマが宗教的のみならず、色々な意味で極めて強い政治性を持った存在であること——それがどのような政治的傾向であるにせよ――を忘れて無批判・無条件的に評価するということになれば、それを利用する人々にとって都合のいい、場合によってはわれわれにとって都合の悪い状況を作り出すという、「逆説」が起きることもありようし、そんなときにそれに気づくことを遅らせるようなバイアスとなって働くことになるかもしれない。

新型コロナワクチンについて自分の書いていることはおそらく杞憂に終わるであろうし、杞憂であって欲しい。だが、ダライ・ラマの教えではなく、執る行動についてはわれわれはとりわけ注意深く、多層的な評価が可能なようにオープンな意識を向けるべきだと考える。もし、あなたが彼に文字通り帰依しているのでなければ、なおさら。

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