アララト山麓で発見された舟形の人工構造物への一瞥
Facebook 2020-08-06, 09
興味深い。アララト山上から船の形をした人工構造物が見つかったことは確かみたいだ(自分は、現時点ではこれをあえて「ノアの方舟」とは呼ばない)が、掘り出された有機物の炭素14による年代測定はどうなっているのであろうか? 化石化の仕方から考えると、相当に古そうなのだが・・・
簡単なグーグルサーチをやってもこのムービーが作られてから随分時間が経っているから色々な研究も進んでいるみたいで、例えば以下のようなニュージーランドのサイトでもその成果の一部を垣間見ることができる。ただ、炭素14による年代測定についての結論らしいものは見つけることができなかった。
https://noahsarkscans.nz/
以下は、この件についての自分の想像をベースとしたストーリーである。
アララト山の頂上の標高は5000メートル越えで、仮に発見された方舟状の人工物が山頂ではなくて、やや麓寄りであったとしても、そんな高度まで至る規模の洪水が起き得るのだろうか、と正直思う。洪水伝説は世界中に散見されていて、世界的規模の大洪水があったことは疑いがないと信じるが、何千メートルもの水位になることは、巨大隕石が海に落ちない限り、どんなに極地域の氷が解けてもあり得ない気がする。
ではどうしてアララト山中に「船」の形状の人工物が見つかったのか、その説明が必要になる。実際にその高さまで至るような洪水があって、そこに漂着したという神話や聖書の記述通りに信じないとすれば、どのような説明が可能なのかということである。
そこで想像したこととしては、洪水は神がノアに予告した通りに起きたのだが、水位はアララト山の麓にまで至ることは、ついぞなかった。つまりノアはアララト山中に箱舟を建造し家畜も一揃い入れて洪水に備えた。結局大洪水は起きて、海抜の低い地域は全て大水の害を被ったが、アララト山中に避難していたノアとその一族は箱舟の中で助かったということではないか? 結局箱舟は一度も水に浮かぶことなく、単なる避難用シェルターとして使われて役割を完了した。箱舟がアララト山中にあったという伝説だけが後世に伝えられ、あたかも水に浮かんだかのような話となってしまった。
洪水があったであろう歴史的事実、アララト山の標高、洪水の水位への配慮、アララト山から見つかった船としか思えない人造の遺物、これらを合理的に総合すると、以上のような説明しかつかないのではないかと思うのである。
追記
もし、誰かが「世界を水で覆うような大洪水がある」と、文字通りに愚直に信じたとしたら、どんなシェルター(避難場所)を作るであろうか? それは当然、万が一の時に、水に浮かぶようなシェルターを作るであろう。水に浮かぶことがなくても、当面の家として機能するようなしっかりと居住空間を密封できる屋根付きの箱型のものを作るであろう。それが箱舟の起源ではないのか。そう思う。
後は、劇的な洪水の原因を考えてみる。地中海は一つの大きな湖であった時代がある。ジブラルタルは海峡ではなく、アフリカとヨーロッパの二大陸は繋がっていた。いずれかの間氷期に大西洋の海抜がどんどん上がってきて、ジブラルタルは水圧に耐えられなくなって、ある時堰を切って「地中海」に大西洋の水が流れ込む。これは地中海沿岸の諸国にとっては「大洪水」の記憶となるのに十分だろう。もっともジブラルタルが海峡になったのがいつなのかというのを考えると、あまりに古い時代なので、人類史に記録として刻みつけられるようなことはなかったわけであるが。
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