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登山口/おかあさん



 先日、夫婦で足利に行った。
主人は既に何回か訪れているのだが、
私は初めてである。

 以前私が「いつか富士山に登りたい」
と言ったことを覚えていて、
主人が足馴らしに行こうと誘ってくれたのだ。


「そうだよね。足を鍛えなくちゃね。」
と、軽い気持ちで同意した。

 旅立ちの朝は、夜中に降っていた雨はあがっていたが、まだどんより曇っていた。

 しかし、足利につくころには、素晴らしい晴天に変わっていた。


 登山靴に履き替えて、歩き出す。
足利の古い街並みを過ぎると、織姫神社の階段を登る。一歩一歩ゆっくり登るのだが、これが長い。

 登っても登ってもなかなか本殿に辿り着かないのだ。
 「うそでしょ!」
と、言いたくなるが、
周りの人達は黙々とのぼっているので、やむなく、休み休み登っていった。


 やっと登り切ると本殿の前が開けており、足利の街はもちろんのこと、ずーっと遠くの秩父や日光の山波を遮るものもなく見渡すことができる。天は青く澄み渡り、ところどころに秋の雲が浮かんでいる。

「最高だね」
と、思わず口に出る。素晴らしい景観だ。

  うっとりながめていると、
「さぁ出発だよ!」

との声。織姫神社の裏に両崖山(りょうがいさん)への登山道があるとのこと。

  お昼ご飯をたべていなかったので、「お腹がすいた」とだだをこね、社殿裏のレストランにむかったが、あいにくお休み。食べるのは諦めて、山道に向かう。

 この間見たテレビの登山ガイドさんがいっていたことを思い出し、

「ゆっくり、ゆっくり」

と、心の中で声を出しながら歩く。

 山の稜線沿いの道を登ったり降りたりしながら、少しずつのぼっていく。


 足元は大理石か石灰岩のようなゴツゴツした岩や石ころがころがっている。

 そもそも山道に慣れていない私には歩きにくいことこのうえない。林の中の道もあったが、岩場も多い。

 ハアハアいいながらも、木もれ日や途中途中で見える景観に助けられて、何とか歩けている。

 遮るもののない秋の絶景は、「来てよかった」との思いを強くしてくれる。
 両崖山頂は足利城址となっており、神社があったらしいが、2年前の山火事で消失したらしい。
 またも
「うそでしょ!」
と言いたくなったが、嘘ではない。

実際山林は黒く焼け焦げた木々がずーっと奥の方まで続いている。

 地元の人の話では、山火事はすぐにはおさまらず、4~5日は続いたらしい。

 煙がもうもうと町の中まで降りてきて焼け焦げた匂いが充満し、本当に怖くて大変だったそうだ。

 それでも、まるこげになった林の木々が、
焦げた枝から小さな枝を伸ばし、葉を大きく広げているのにはびっくりした。

「あなた、生きてたんですかぁ」
「凄いですねぇ」
と声をかけたくなる。

 焦げた林の道を抜けて、天狗山に登る。山頂近くには、短いが岩場があり、鎖を伝ってしか登れない。こういう鎖場は私の性格に合っているのか、全然こわくない。一歩一歩ゆっくり登れば、自ずと道が見えてくる。

 時折、娘言ったことを思い出す。

「お母さんはこわがらない。恐れを知らないから、勝手なことをやり始める。
 お父さんはこわがりだ。だから慎重に準備し練習を積み重ねて確実に自分のものにする。」

 なるほど。よくみているなぁと思う。

 実際、山登りを終わってみれば、
足が、とりわけ太腿の内側や足の裏が痛くて、歩くのが辛くなっている。

これではとても富士山には登れない。
 もっと練習が必要だと実感する。
   山への登り口は、まだまだ遙かに遠いと思う。

 それでも登りたいと思うのは、懲りることをしらない性格だからなのだろうか。
 私にもわからない。

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