誕生日を知らない人生
2022年11月10日、
この日、私の父、泰正の80歳の誕生日であった。
80歳というと、いわゆる〇寿なのか?パッと出てこないので
ググると傘寿だそうだ。
これを聞いてもイマイチ、ピンと来ない。
親父はいわゆる戦中生まれで
西暦で言えば、1942年(昭和17年)であるが
実は、正式な誕生日ではないと聞いたのは
ほんの数年前のことであった。
というのもいつ生まれたか、
よく分からず、父親の父、つまり私の祖父の誕生日で
届け出を出したので正確な日付は分からないそうだ。
となると、この時思ったのは
生年月日による占いは全て親父にとっては
無意味なものであり、永遠に楽しめない
エンターテイメントなんだなと強く思ったのが蘇る。
きっと昔はそんなことが多々あったんだろうと思う。
とりあえず、タオルをプレゼントした。
もはや服とか。酒とかいらないだろう。
日々の顔を拭くのに
ふかふかのタオルがいいかなというチョイスである。
そして久々に親父に電話をした。
便りがないのは元気な証拠!という意識があるかどうか
分からないが、あまり親に連絡しない口だが
今回はさすがに連絡を取ってみた。
「80を迎えてどうですか?」
父「70を超えてからの10年は早いよ」と。
うーむ、すでに年月の流れの早さに
戸惑う息子に対し、
さらに「早いよ」という返答。(笑)
そうか、そうなのか!
親父、ありがとう。
私はどこかで思っていた。
定年を迎える頃の65歳ごろには
人生とはゆったり流れるものではないか?という幻想を。
そうではないのだ、残念ながら。
うーむ。一日、一日、大事にしないとなという
ごくごく平凡ながら、
本質的な言葉に触れた気がする。
棺桶はすぐそこだ。
だから、明日もがんばるべかな。
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