王平伝 9-9

 広都での氐族による生産が始まったと、王訓からの報告が蔣琬に届いた。北伐を終えた蜀は、戦で疲弊した国力を回復させるための人口を必要としていた。そのための異民族の移住策だった。

 度重なる大戦は国家の富を浪費させるだけでなく、生まれてくる新しい命の数も減少させた。漢王朝の復興という目標で一国をまとめ、魏に挑戦し、負けた。それは蜀の民にとっては不幸なことでしかなかった。国が不幸に満ち、先行きに喜ばしいものを見出すことができなければ、民は子を生そうと思わないのだろう。

 今は為政者として、民の暮らしに豊かさを与えてやることを第一とすべきだった。しかし戦を止め民に豊かさを与えたところで、民はすぐに増えるものではない。民が子を生し労働力となるまでには十数年の時が必要なのだ。それまで、敵国である魏が、蜀の国力が回復するまで手を拱いて待っていてくれるはずがない。

 蔣琬は、異民族の移住には反対だった。同じ漢族ならまだしも、民族が違えば風習が違うし言葉も違う。自然と民は国の中で割れ、国が国である意味がなくなってしまう恐れがあった。ただでさえ蜀は漢王朝復興という目標を失ってしまい、国からまとまりがなくなろうとしているのだ。国からまとまりが失われれば、民の一人一人が個々の欲に忠実になり、国は崩壊してしまう。漢という国はそうやって滅びた。

 分別に乏しい臆病な廷臣にも問題があった。総力をかけた蜀軍を破った魏軍が漢中から侵入してくれば、蜀は一溜りもなく敗北してしまうと恐れている者が少なくないのだ。いずれも戦を知らない者だった。実のところは、魏も戦でかなり疲弊している上、敵は蜀だけでなく呉や北方民族にも備えなければならないため、しばらくは蜀に攻め入ってくることはないと目されていた。はるか東の遼東では公孫淵が呉と結び、魏に反抗する構えを見せてもいる。そういうことを説明しても、流説と不安に心を支配された者には何を言っても無駄だった。

 黄皓がその不安感を煽り立てていた。それで魏は攻めてこないと主張する蔣琬は不安を抱える者から敵視されるようになり、黄皓が提案する移住策を受け入れざるをえなくなった。黄皓は、力を持つ者に反抗することを生き甲斐としている、小鼠のような宦官だった。今の権力者である蔣琬を責め、非を認めさせることで快楽を得ているのだ。その一人のつまらない快楽のために、蜀は新たな問題を抱えようとしていた。

 蔣琬を憎しとしていた李厳と楊儀は排除した。あとは黄皓だったが、帝は機嫌取りの上手い黄皓を気に入っているようで、なかなか手が出せなかった。帝の近くには蔣琬派の董允と来敏を置いて黄皓ら宦官勢力に対抗させ、郤正に行動を監視させていた。それに対して宦官は、帝の権威を隠れ蓑にして姑息に立ち回るのだった。

 広都にやっている王訓からは、度々氐族の問題行動が報告されていた。一番耳が痛いのが強姦だった。移って来た氐族は女が多かったため、体を売りたいと希望する女を集めて妓楼を作った。新しい住民を嫌う広都の漢族を慰撫するためでもあったが、氐族の男はそれに憤慨し、漢族の女を犯すのだった。捕らえた者の話を聞いても、同じことをやってやったと言い張るばかりで悪びれもしないのだという。

「形だけは働いているが、氐族の勤労意欲は低い。これでは奴らを移住させた意味がなくなってしまう」

 あまりの問題の多さに広都まで視察に行った費禕が言った。

「毎日、どこかで喧嘩だ。これでは一つの城郭に、二つの街があるようなものだ」

「だから異民族を連れてくることには反対だったのだ。それなのに、問題が起きれば誰もが俺に責任を押し付けてくる」

「もう連れてきてしまったのだ。愚痴を言っても仕方のないことだろう」

 いくら黄皓が移住政策を推進していたといっても、最後に裁可するのは宰相である蔣琬の仕事だった。それで周りの者の非難の声は蔣琬に向けられ、黄皓には一切向けられない。それは黄皓の狡猾な計算でもある。

「王訓はどうしている。さぞ辛い思いをしていることだろう」

「頬をこけさせ目つきが険しくなっていたよ。あまり眠ってもいないようだった」

 王訓を広都にやったのは、どんな嫌な事件があっても誤魔化しの報告はしてこないだろうという信頼はできたからだ。皮肉なことだがその証拠に、上げられてくる報告は嫌なものばかりだった。

「弱音は吐いてはいなかった。王訓は若いうちに、辛いところで揉まれて強くなってくれればいい。それよりも黄皓のことだ。どうやら族長の苻健としばしば会っていて、かなり親しくなっているという話だ」

「それも聞いている。氐族を取り込んで自分の勢力にしようという魂胆なのだろう。異民族を入れるなどと言い出したのも、それが一つの狙いだったのだ」

「王訓にも近づいているようだ。黄皓の言うことに惑わされるなと釘を刺してはおいたが」

異民族を入れることを決定したことで、元からいた広都の住民からは憎まれているのだろう。そして恐らく、労働を強いていることで氐族からも良く思われていない。黄皓はそういうところに付け入る術には長けていた。国のことを本気で考えていないからこそできる、卑しい術だ。

「魏の脅威があるから人頭が必要だと言うが、魏軍はすぐに攻めてはこないことを黄皓もわかっているのだ。全ては俺を責めるためにやっていることさ」

「これでは王訓や蔣斌のような今の若い奴らが後に苦労することになるな。ただ苦労するだけならいいが、国が割れ滅亡してしまう恐れもあるというのに。子を残すことの無い宦官は、若い者に情をかけるということを知らんのだろう」

 国は、自分の住み家であると蔣琬は思っていた。多分、費禕や王平もそうだ。自分の家をより良く保とうと思うのは当然のことだろう。黄皓にとっては、国は自らの欲を満たすための場でしかない。その場がいくら汚くなろうが知ったことではなく、欲を満たすことを第一とし、国のためなどと言う者は憎くて仕方がないのだ。

「国のために政を為すとは誠に損なものだな、費禕。良い政を為そうとすれば必ず邪魔してくる者が現れる。それも厄介なことに、そいつらはまるで自分が正義だという顔をしてやってくるのだ」

「諸葛亮殿が丞相の時もそうだった。滅ぶ直前の漢も、そうだったのだろう。恐らくいつの世も、政を為すとはそういう者との戦いなのだ」

 諸葛亮はこの益州という限られた地域で国力を充実させ、臣民の心をまとめ、何度も魏に挑んだ。それは偉大なことだった。諸葛亮に代わり国を主宰するようになってから、強くそう実感する。

「人の少なさもそうだが、蜀が新たに抱える問題は、臣も民も心を分裂させようとしている所にある。これは早急に解決せねばならん」

 人心など、国があればそれで一つになるものだと思っていた。しかしそうではなく、民の心を一つにまとめ一つの国を維持するには、為政者が一つの大きな価値あるものを民に提示し続けなければならないと知った。少なくとも諸葛亮はそれを知っていた。その大きなものを喪失してしまったため、漢という国は滅んだ。蜀にその二の舞をさせるわけにはいかない。

 蜀の帝には、漢王朝の代わりをしているという建前があった。仮の帝では民の心をまとめるには弱いのだ。魏の打倒という明確な目標も、今やあって無きものになっている。

「民の心を一つにする必要がある。移住してきた者も含めてこの国は一つにならねばならんのだ。そのために一番有効な手段を選ばなければならん」

 それは誰の目から見ても解り易いものであるべきだった。できれば打ちたくない手である。費禕も同じことを考えていたのか、顔を俯けさせていた。

「外敵を作り、それを国全体が認識する。蜀という国家を維持させ続けるにはそれしかない」

「結局は戦ということになるのか。しかし下手をすれば、それが蜀崩壊の発端にもなりかねない」

「構えだけでいい。本当に戦をする必要はないのだ。魏を敵だと民に示せば、武都で酷使されていた氐族もそれに共感してくれるだろう。共感できるものがあれば、民が割れるのを防ぐことができる」

 諸葛亮の主導で魏と戦をしていた時は、重税ではあったが民はついてきてくれた。漢王朝の復興を目指すと言う共通認識が蜀国全体にあったからだ。戦が終われば民に穏やかな暮らしをさせてやることができると思っていた。しかしその穏やかさと引き換えに、民の心は蜀から離れ始めていた。これを放置しておけば、遠くない先に蜀は必ず大きな災いを迎えることになってしまう。

「また戦だと言えば、農民は嫌な顔をするだろうな」

「こうなればとことん嫌われてやろう。そして成都から追い出されるように、俺は兵を率いて漢中に行く。それで我らの敵は魏国であると蜀の臣民に示すのだ」

「誰もが戦のない世を望んでいるというのに、戦がないと民がまとまりを欠くとは皮肉な話ではないか」

「国が割れれば、もっと凄惨な争いが起こる。それは漢の滅びが証明したことだ。それよりはましだと思い定めるしかない。四百年続いた漢という国家があればよかったのだ。蜀という国はまだ若い。若いからこそ、争いが起こる。それは赤子が病を得易く、死に至り易いのと同じことだ。漢はその病に耐えうる体を持っていて、それを誰かが治療してやるべきだった。しかし魏がその病身に止めを刺してしまった。それを阻止しようとした諸葛亮殿は、正しかった」

 漢が持っていた病の一つに、宦官の存在があった。国家に性器を奪われた男が、その国家に尽力するものなのかと、蔣琬は自分のいちもつを眺めながら考えることがあった。もし宦官になってしまえば、自分も黄皓のように卑しくなってしまうのではないだろうか。

 蜀も建国の時に当然のように宦官を作った。それに反対する声がなかったわけではないが、漢王朝を継ぐのならそれも受け継ぐべきという声の方が大きかった。帝から宦官を奪うことは不忠だいう声すらあるのだ。その強い忠誠心が国家を滅ぼす要因となるのなら、これほど滑稽なことがあるものだろうか。

「俺が漢中に行けば、成都の仕切りはお前に任せようと思う」

 費禕が少し黙って考えていた。他に誰かをと考えているのだろう。

「権力を得たいと思っている者に譲りたくはない。権力を持つことは困難なことだと思っているからこそ、お前に任せたい」

 費禕は大きな溜め息をついた。

「今度は俺が嫌われ者になる番か。気の引けることだが、やらねばならんことなのだろうな」

「漢中にいていつまでも魏に攻め込もうとしない俺を悪者にしてくれればいいさ。漢中に滞陣して時を稼いでいる間に、国力を回復させてもらいたい。時が経って漢族と氐族の血が混ざれば、民族の境もいつかは消えてなくなるはずだ。そうやって次の世代の者にこの国を継がせたい」

 それまでに王訓には強くなっていてもらいたい。息子の蔣斌も、魏延との暮らしの中で多くのものを学んで、いずれ成都に戻ってきてもらいたい。劉敏からの書簡には、蔣斌は山中で元気にやっていて、成都から放逐されたことは怨んでいないと書かれてあった。自分に気を遣ってそう書いてくれているだけなのかもしれない。

「話は変わるが、一つ気になることがある。漢嘉郡に流した楊儀が俺の悪口を吹聴して回っていて、それに黄皓が絡んでいる気配がある。俺が成都にいる間にできる限り禍根の種は取り除いておきたい」

 楊儀を殺しておけ、ということだった。楊儀は北伐に功があり、そのため首を落とされず流刑となっていた。功臣には温情を見せておくべきだと、黄皓が帝に入れ知恵したからでもある。それで楊儀は平民になり、成都の外で動く黄皓の手駒に成り下がっていた。

「わかった。それは句扶にやらせよう」

 広都で蔣琬の評判を落とし、漢嘉郡でも落として悪評を広めていこうというのが黄皓の戦略なのだろう。成都を離れて漢中に駐屯することになれば、黄皓の手引きで楊儀が政権内に復帰してくる恐れがあり、それはなんとしても阻止しなければならない。

「その思いきりでいい。宦官の言うことを気にして筋を曲げるようなことがあってはならん。筋を曲げない限り、俺も董允も来敏殿も、お前の味方だ。王平も、そうだ。敵は多いが敵ばかりではないということも忘れるな」

 そう言い、費禕は退出して行った。

 十日に一度の評定が開かれ、政庁に蜀の群臣が集められた。そこで国内の現状を帝に奏上し、これからの政についての議論がされるのだ。

 蔣琬の近くに、費禕、董允、来敏が座った。財政官の孟光もいる。それに対するように黄皓を始めとする宦官が陣取り、それら全体を見渡せる場所に帝の劉禅が座っていた。

「近頃の蜀国は、戦による疲弊のため民は嘆き苦しんでおり、為政者に対する怨嗟の声が渦巻いております。これでは陛下の権威に傷がつく恐れがありますが、これをどうお考えか」

 宦官を代表して、黄皓が甲高い声を室内に響かせて言った。この黄皓本人がその怨嗟の声を煽っているのだが、帝はそれを知らない。宦官の言葉は帝の言葉でもあるということになっているので、迂闊な返答をするわけにはいかない。

 それに来敏が起立して答えた。

「魏との戦は終わり呉との同盟は良好で、蜀国内には平穏が戻りつつあります。それでも怨嗟の声が上がるのならば、それは外的な要因があるのでなく、内的な要因となる何かがあるのでしょう」

 その内的要因は宦官であると、来敏は遠回しに言っていた。蔣琬が言い辛いことはいつも来敏が言ってくれた。嫌味を言うのが好きなのではなく、駄目なものに駄目だと言って疎まれるのは老人の仕事だと考えているのだ。そんな来敏の存在が、蔣琬には有り難かった。来敏の言葉に宦官たちは露骨に難色を示していた。黄皓はそれに、不気味に微笑んでいるだけである。

「その要因は何かと尋ねているのですが」

 宦官だ、とは言えない。言えば帝を批判することにもなりかねないからだ。もちろん黄皓はそれを分かっていて聞いている。帝の劉禅はそれを分かっているのかどうか、横目で表情を伺い見てもよくわからなかった。

「内的要因の一つに、広都に移住してきた氐族のことがあります。彼らが蜀の民となってから、罪を犯さない日はありません。これは移住案が出された時から十分に予想できたことなので、今は鋭意対策中でございます」

 黄皓の表情が少し動いた。移住案を出してきたのは他でもない黄皓であった。

「私は氐族の長であった苻健に会い、陛下の民として扱うことを約束し、慰撫しております。それでも問題があるとするのなら、それは如何なるものでしょうか」

 今度は蔣琬が立ち上がった。宦官たちの鋭い視線が、獲物を狙う獣の如く集まってきた。

「氐族は蜀の民となってまだ日が浅く、蜀への帰属意識が成就されておりません。これは一朝一夕に成るものではなく、長い時が必要とされます。これは移住案が採択される前にも申し上げたことです」

 それを何とかするのが文官の仕事ではないか、という声が宦官側から上がった。帝の前で宦官の提案したものが失策であったと印象付けられたくないのだ。

「対策案がないわけではありません」

 宦官たちの不快な視線が向けられ続けている。成都を離れるのは、この不快な視線に負けたからではない。蔣琬は息を飲んで心の中でそう呟いた。

「魏国は我ら蜀国の敵であると、改めて民に示してやることです」

「少数の移住者のために」

「氐族のためだけではありません。漢王朝の復興が志半ばに潰えた今、蜀国住む全ての民は心の行き場を失っております。その麻の如く乱れた民の心をまとめあげるためにも、我らには共通の敵が必要だと考えるのです」

 黄皓が意外そうな顔を見せた。

「戦を終えたばかりだというのに、また戦だというのですか」

「すぐにというわけではありません。成都から二万を出して漢中に駐屯させ、魏に睨みを効かせます。これで魏軍は蜀に容易に攻めてこられなくなるでしょう。これは蜀に住む民の安寧にも繋がります。魏国を牽制することで、同じく魏を敵とする同盟国の呉にも顔が立つことになります」

 成都には六万の兵がいた。これは四万に減らしても大きな問題は起こらないはずだ。仮に起こったとしても、漢中から駆けつけてくればいい。

「兵には漢中で田を開かせ、屯田兵とします。開墾地に余剰ができれば魏からの流民を受け入れ、農作業をさせれば収入も増えます。二万は年に三度、成都の兵と交替させます。それで兵が家族と生き別れることがなくなり、魏は敵であるという緊張感を皆が持つことになることでしょう。財政に関することは、既に孟光と相談済みです」

 蔣琬から促された孟光が立ち上がった。

「外征はできませんが、二万が国内に駐屯する分には問題ありません。漢中で新たに開墾するのならば、むしろ蜀国の富は増えます」

 漢中は魏との最前線であるため、まだ開発できる余地を多く残していた。漢川がもたらす十分な水もある。蔣琬はそこに目をつけたのだった。

 宦官たちが、どう反応すればいいのかわからないという顔をしていた。蔣琬のことを責めたいのだろうが、漢中に軍を集めて守りを固めれば、成都はそれだけ安全な地となる。それは宦官たちにとって悪い話ではない。

 帝である劉禅は、その話を興味深げに聞いていた。蜀が建国されたのは、劉禅の父である先帝の劉備が魏国を打倒するためだったのだ。悪い感情を持たれることはない、と蔣琬は読んでいた。

 その案は大きな反対に遭うことなく、これから話を詰めていくということで終わった。

 次の議題に、皇后が没して次の皇后を立てるに当たり、大赦をすべきだという話が宦官側から上がった。董允と来敏がそれに反対しているのを、蔣琬は口を開くことなく腕を組んで聞いていた。成都を離れると決めた者が口を挟むべきではない。成都に残る蔣琬派の面々には悪いが、これで成都の煩わしいものから解き放たれ大きな心の荷が下りることになる。そして、蔣斌の近くにいてやることができる。

 それから八日後、費禕に頼んでいた楊儀の首が蔣琬の所に密かに送られてきた。それと同時に蔣琬は、漢中駐屯の指揮官には自分が就くという話を宦官に流した。楊儀を殺したことで仕掛けてくるだろうと思われた宦官勢からの報復は、それでなくなった。これ以上蔣琬を貶めれば、漢中へ指揮官として送り出すことができなくなるかもしれないからだ。反蔣琬派は、成都の政権から蔣琬を排除するということでまとまっているのだ。

 漢中に軍を出すという案で珍しく蜀の臣はまとまり、その計画は順調に進められていった。総指揮官が蔣琬になることも決まり、大将軍の節が下賜されることになった。

 蔣琬はしばしば国のために尽力するということについて考えた。善政を為そうとしても、どこかで邪魔をしてくるものが内から湧いてくる。諸葛亮の時もそうだった。感嘆すべき諸葛亮の能力は、秀でた政治手腕だけでなく、その手腕を発揮させるためあらゆる邪魔者を跳ね除け続けた心の強さにもあった。その心の強い諸葛亮ですら、馬謖、李厳、楊儀のような者を排除しきることができなかった。諸葛亮にできなかったことを求められた時、心の弱い自分は邪魔なものを排除し続けることができるのか。それとも、邪魔なものに食い殺されてしまうのか。

 楊儀に反目していた馬岱は、武都に賊徒として向かわされ、漢中からの救援を受けられないまま魏軍に討たれた。国に尽力するということは、馬岱のような死に方をするということではないのか。だからといって国に尽力する者がいなくなってしまえばどうなるか、漢の滅亡を目の当たりにした蔣琬にはよくわかっている。権力を持つとは愕然とするほど損なことだったのだと思わざるをえない。

 漢中に出陣する前に、一つやっておくべきことがあった。漢中太守である呉懿の解任だ。劉敏によって書かれた王平からの報告によると、馬岱の救出は可能だったが、魏軍との交戦状態に入ることを恐れた呉懿がそれを阻んだのだという。

 呉懿の齢は既に六十に達していて、判断力の鈍化をしばしば見せていた。それでも帝の外戚ということで、無下に扱うわけにはいかず漢中を任せていた。始めから王平に任せて劉敏に補佐をさせておけばよかったものだが、王平が文盲だということで反対の声が上がったからだという事情もあった。

 その邪魔な声を排除しきれず、古い者を迎合してしまったため、優秀な将であった馬岱を失ってしまった。その責任は自分にある。呉懿に嫌われ憎まれてでも、始めから王平に漢中を任せておけば、馬岱が死ぬことはなかっただろう。

 同じ過ちを犯さないためにも呉懿は排除しておくべきだった。このまま蔣琬が漢中に行き、漢中が蔣琬派と呉懿派に分かれれば、魏は諸手を打ってそこにつけこんでくる。

 呉懿を排除すれば、呉懿とその近しい者からの恨みを買うことになり、漢中での政務を邪魔されることもあるのかもしれない。

 諸葛亮ならどうしていただろうか。気付けばそう考えていることが多くなっていた。

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