私の仕事

ある程度ぼやかしてであるが自分の仕事の歴史、やっていることを振り返ってみたい。抽象的過ぎたら読み飛ばしてください。

私は、何度か金を稼ぐ方法を変えてきた。はじめの労働経験は学生時代だった。

学生時代) 昔学生のときは、家庭教師のバイトをしていた。時給は、5000円いただいていた。ほぼ全科目を教えた。受験生で都立大に合格してくれたのでよかった。

無業者時代) それから、無職、無業者になった。就職活動をせずに、パチンコ屋でパチスロを打って、買った金と時給1,000円のアルバイトで稼いだ金で、酒を飲んでいた。今考えると申し訳ないが実家に厄介になっていて、出来た暮らしだ。可処分所得は、この時期が多く300万円くらいあった。

サラリーマン時代) 同期が結婚して苦労する中で、キリギリスみたいにパチンコ屋と図書館とバイト先に出入りしていた。そんなある日、もうすぐ30歳になることに焦りを感じた。それで就職をすることになって、田舎のパチンコ屋に採用していただいた。それからずっとサラリーマンみたいな格好をしてパチンコ屋を運営する会社で仕事をしている。結構いろいろやらせてもらっている。

法務 渉外) アルバイト、無業者時代に、法律の勉強をしていたが、スロットが面白すぎて身につかなかった。生兵法をある程度使えるところまで鍛えてくれたのが今の勤務先だ。契約関係、法務関連業務を任せてくれるようになったからだ。責任感と失敗したくない恐怖でたくさん勉強した。私法から公法である行政法、刑法まで結構広い範囲で大昔に勉強したはずの法律を詰めなおした。そして最後の詰めには、弁護士さんの力を借りる事もあるが、単独でうまい結論を出せたときにものすごく達成感を覚えた。

事業開発) 今は、関連事業として不動産物件やM&Aなど次の事業に繋がる情報の収集、買い物をよく調べる(デューデリジェンスという造語がある)ことをすることも年に数度ある。持ってきてくれるのを待っているだけだとなかなかいい物にめぐり合えない。情報源の企業や個人をどのくらい知っているか。勤務先が何を欲しがっているか?などこまめに連絡を取りながら情報源との関係を大切に維持していく。年中面白い情報があるとそれを研究する。実る事はまれだけれども実った後に事業が儲かりだすと嬉しい。

トラブル処理全般) ほかに、トラブル処理もたまに起きる。交通事故から、建物の不具合、労働問題、人事事故までトラブルはさまざまだ。市の集会所にて、たった一人の労働者を支援するユニオンの団体交渉を対応した事、暴力団の方の対応、取引先の借金取りの対応、社内不正の対応など、ちょっと怖い対応もいくつかやったが、8割くらいいい方向で解決できた。後ろ向きで儲かる話しではないけれど被害回復、トラブルの解消が出来たら面白い。

経理) 経理も簿記2級の本を読みながらやった。たくさん金の入った銀行の通帳と印鑑をもったまま酔っ払って中国マッサージ店で寝過ごして、鞄一式を忘れて帰るなど非常に危険な失敗を犯したが、自分の担当する口座の残や現金の残で誤差を生じさせたことはない。また、数字を間違えることなく、いままでは、やってこれた。また、1億円くらいと勤務先の資金需要からすると小額であるが金を借りる仕事もした。借用書や必要な書類をそろえて事業の終始のシュミレーションをして融資担当者さんのつっこみに回答するだけで1億円貸してもらえたのは、嬉しい驚きだった。あと、手形小切手を使うときは緊張する。最後までなじめなくって未だに嫌いな業務だが、やらないともっと面倒くさくなるので最優先で処理をする。

現場支援) 現場の仕事としては、玉運びから釘調整をすることが出来る。(ちなみに今釘調整は、ないことになっている)。あと、経理に関係するが手形や小切手を使ってパチンコ台を購入する事も業務だったことがある。現場は、複数の事業で入る事があるが、楽しい。生産部門の活気があるからだ。

採用) 人の採用も仕事としてやっている。エンジニアからパチンコ店やレストランの社員までさまざまな人を採用する。ビラ作り、大学にビラを貼らせてもらいに行くゲリラ的な活動から求人媒体の選定までいろいろやったが、コロナ前までは、本当に人の採用が芳しくなく現場に迷惑をかけ続けた。いい人と縁ができて、その人が最終的に店長とか出世してくれると他人事ではない嬉しさがある。

営業管理) 勤務先の製造する商品を売ってくれる商社の管理も結構面倒くさい仕事だ。パチンコ屋関連商材やそうでない商材をいくつか作っていて、そのPRや販売も業務に組み込まれてくる。人間関係の構築が本当に難しい分野だった。飲みいいける関係を複数方面で築け、一生懸命動いて貰えるようになったら、急に楽しくなったがそれまでは胃に穴が開く勢いで悩んだ。

職業人としての自分の課題は、山積している。広く薄く、いろいろやらせてくれたおかげで、ある程度まで成長できた20年だったと思う。しかし、すべてが薄っぺらいのが今の悩みだ。知識や経験はあるが一流ではない。補欠レベルの体験が知識や経験なので、処理は出来ても、効率化とか合理化などよりその業務をよくするところまで知恵が回らない。

特に今の自分の業務において不足している分野がコンピューター関連の知識だ。特にプログラミングの知識が不足している。社内のエンジニアが余人を持って変えがたい存在となっており、その優秀な人材が転職してしまうといろいろと滞る。後継人材の採用で、求職者の技術力、勤務先の必要としている能力があるのか職歴やインタビューで把握できる状態までは、知識を深めなければならない。初めは、アマゾンのサーバーの意味もいまいち理解できていない状態だった。まだまだ駄目だ。1店舗の店舗開発をきっかけに、今は複数の事業に関わらせていただいているが、その中では、パチンコ屋の商売に関連しないものも増えてきた。また、ITエンジニアなど今まで話してきた日本語以外の言葉を使う人種との仕事も増えてきた。パンクするのかすべてを吸収して、なんでもござれとなれるかは、ここ数年が正念場だ。

私の仕事のやり方は、わからないことを調べるところからスタートしてきた。20年前は、まだ調べ物は、本屋さんか図書館が多かった。最近は便利になって未知の業務や未知のビジネス分野についてこのノートのサイトのほか親切な方のホームページやユーチューブまである。おかげでなんとかやれている。

年々仕事の内容は複雑化するがついていけなくなったときが、たぶん仕事をやめるときだと思う。なるべくおそくそういう時期が来るように詰められるだけ知識と経験を詰め込んでいかないと思っている。

仕事の失敗のネタ、どうリカバリーしたかのねたもいくつかあるなと思いつつ「私の仕事」紹介を終える。

#私の仕事

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