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Maria Schneiderに会いにN.Y.に行く

「え、マリア・シュナイダー? 彼女のラージアンサンブルがグラミー取って私が騒いでた時、あなた見向きもしなかったじゃない。」
夏菜子は幼い頃からバイオリンを習っていたので音楽の趣向はどちらかと言えばクラシックサイドだな、と僕は思っていた。ジャズについてもアンサンブルというかギル・エバンスだとかのビッグバンドが好みで、その流れからマリア・シュナイダーに行きついていたようだった。確か夏菜子が盛り上がっていたのは2004年にConcert in the Garden がダウンロードオンリーでのリリースアルバムとして初めてグラミーを受賞した時だった筈だ。僕はそのダウンロード、というところに意味もなく反感を覚え、これもまた意味もなくしばらく彼女の音楽を遠ざけていた。
「いやー、君が少し尖っていたんだよ、まあ、いつも言われているように自分が鈍感なんだとも言えるかもだけど」
彼女のJazz Orchestraとしては実に8年ぶりの新作発売が近ずいた春先に、リリースライブがニューヨークのバードランドで約一週間行われることを知った。2013年の初来日は都合悪く見逃していたので、これは本国とか、ヨーロッパのツアーとかにこちらから出向かないと永遠にライブに立ち会うことはできないかも知れないと思っていた。また新作に向けてテンションが上がっていたことも手伝って一気にニューヨークに行くしかないとの気持ちに傾いた。まさにいてもたってもいられない、という感じで。
「6月上旬?んー、明らかに無理。私の立場でここら辺で休み取るのは不可能に近いな。正直残念だけど1人で行ってきて。あ、分かってるよね、お土産。」

6月、いくつかの曲折はあったものの、僕は無事にアメリカに向かうフライトで空の上にいた。ニューヨークまでのフライトは約12時間。太平洋上を日付変更線を跨いで半分程でやっと大陸の西端、アラスカの端っこの上空に達する。このロングフライトの半分がほぼアメリカ横断なんて、やっぱりちょっと不公平だ、なんてふと思う。
窓の外はずっと夜明けを迎えようとする北米大陸の雲が広がる。満月に近い月が朝焼けの赤を滲ませた雲の上にくっきりと浮かんで怪しく輝いている。僕は半日後のライブに期待を膨らませて新作The Thompson fieldsをリピートしていた。ああ、もうすぐこのアルバムで表現されているミネソタなんだ、と少し心が震える。
気がつくとすっかり朝になっている。もう雲の姿もなく、凍てついたカナダとアメリカの国境付近の大地の色はやがて緑を中心とした中にポツリポツリと湖の青が点在する北部〜中部アメリカの典型的な景色に変わって行く。道、がだんだん増えてくる。建物、も増えてくる。そして茶色の土地も加わる。ハドソン川沿いに南下すればこれらの密度が一気に高まってニューヨーク/JFK空港へのファイナルアプローチが始まる。

ニューヨーク/JFK空港からマンハッタンへはエアトレインと地下鉄を乗り継ぐのが最も安価だが少々時間がかかる。とはいっても1時間程度なので疑問もなくこれを選択、無事にタイムズ・スクエア44丁目Port Authority駅に到着、地上に出た。すると目と鼻の先にバードランドがある。ここは初めてだったので分かりやすさに少し嬉しくなる。深夜のライブ終了後の移動を考えて、徒歩5分程の西49丁目にあるホテルを手配していた。ニューヨークのホテルは特に高いので昔からあるような典型的な小さなホテルを押さえていたが、まあ、問題ない。バスルームの天井ヒーターが少し懐かしい。

ライブ1stセットの受付は19:30からなのでホテルにチェックインした12:00過ぎから半日程時間があった。今回はほとんど観光について考えていなかったが、WTC跡地とバッテリーパークは行かなくては、と思っていて、ゆっくりの昼食をとった後に地下鉄で現地に向かった。
僕が初めてニューヨークに行ったのは大学の卒業旅行で当時一緒にバンドをやっていた友人との2人旅だった。もちろん9.11のはるか前で1日観光のオプショナルツアーで観光地を回ったはず。WTCやバッテリーパークはそれに含まれていた。自由の女神はクルーズではなくてヘリコプターで近づいた記憶がある。何となくバブルっぽい匂いがする。
WTCは以前は(自分にとっては)月並みな観光地の1つだったので、9.11がなければこの地を再訪したいと思わなかっただろう。今はあの跡地はツインタワーがあった部分が2つの巨大なプールのような記念碑になっていてプールを囲む青銅の胸壁に犠牲者の名前が刻まれている。平日にも拘らず多くの観光客がいて盛んに写真を撮りあっている。その行為に異議はないのだが、僕はまったくそんな気持ちになれなかった。ここには人間の無理解とか不審、愚かさが刻まれている。多くの遺跡もまた結局同じことなんだな、と思ったがここはあまりにも新しくて、また自分が関わっている現実と近すぎて、いや繋がっていて、言葉に言い表せないやるせなさを感じた。この記念碑の隣に「One」World Trade Centerが建っているという事実もその気持ちに追い打ちをかけた。
バッテリーパークの端に言って小さな自由の女神を眺めながらしばらくゆっくりした。思っていたよりも気候は温暖というか少し暑いくらいだった。何隻かの女神クルーズの出発を見届けた後に一旦ホテルへ戻ることにした。

もう6年ぐらい前のことだ。ある夜、夜中にふと目がさめるとテーブルを薄明かりが包んでいてその先に夏菜子がうつむいているのが見えた。ごく小さな音量で音楽が流れている。夏菜子はぼんやりとした影のようにしか見えないのだが目を凝らすと頬に涙が光っていた。
「どうしたの眠れないの?」
「ねえ、聴こえる?こんなに美しい音楽が存在している。信じられる?」
僕は少しびっくりしたが音楽に耳を澄ましている内にいつしか一緒に涙を流していた。半分は確かに美しいこの音楽に。半分は美しい音楽に涙を流す夏菜子に。
その曲はマリアのJazzオーケストラとしての前作に入っているThe “Pretty” Roadだった。結局僕らはこの曲が収録されているSky Blueをリピートして朝を迎えた。

19:15過ぎにバードランドに到着するとすぐに1stセットのSeating受付が始まった。19:30にはもう席に案内されたが僕の席はステージに向かって左側、厨房とフロアをつなぐ通路真ん中辺りに接するテーブルだった。軽食とビールで開演を待っているとメンバーが1人2人と現れてステージ上で準備を始めている。開場前にリハーサルをやっていて開演時に一斉にメンバーがステージに、というライブに慣れているので新鮮に感じる。このライブは火曜から土曜まで通しで行われるのでリハーサルとかマスターセッティングはその前に終わっているのかもしれない。気づいたらもうマリアもステージ付近で何人かのメンバーと確認みたいなことをしていた。

20:35、遂に1stセットが始まった。Concert in the GardenのChoro Dancadoから始まったと思う。アンサンブルのソリッドな音の塊がすでに僕の心を鷲掴みにする。マリアは最初のMCで「今日は新しいアルバムを中心に過去の曲もおり混ぜます。」と言っていたが、結果的に1stで新作The Thompson Fields多めに、2ndは過去のアルバム多めに、という構成だったと思う。
このJazz Orchestraの魅力はマリアのスコアの複雑なアンサンブルとダイナミズム溢れる演奏と思っているがライブでは一層それが際立つ、ということは予想どおりだった。しかし予想以上にメンバー達の演奏は個性的でソロでは特にそれが発揮されることはライブでなければ分からない悦びだった。
「さあ、グレートミュージシャンの共演です」というMCで始まった、そのソロがガンガン回されるEvanescenceからのGumba Blue(だったと思う)ではマリアがステージを離れて客席を歩き出した。恐らく音響を確かめる目的かと思うが、気づいたら自分のテーブル横の通路に立っている。左後方がミキサールームなのでそこを行き来して微調整を行っているようだ。少しドキドキして見るとにっこりしながらソロを観ている。彼女自身もメンバーの演奏を楽しんでいるようだった。やがてまたステージに戻っていく。
元々マリアの曲には必ずメランコリーというかキュンとさせるメロディーが含まれているのが魅力だが、近作でそこを担っているのがアコーディオンなんだ、と強く思ったのもこのライブでの気づきだった。ソロも含めてGary Versaceの繊細な音色は情感たっぷりで引き込まれる。これも彼女のOrchestraの個性的な部分だ。

新作The Thompson Fieldsを初めて聴いた時、少し地味だな、と正直思っていた。でも繊細にアレンジされたアンサンブルを直接観て(聴いて)、あるいはいくつかの曲でフィーチャーされているLage Lundのギターを聴いて、滋味深さというか込められた深い情感を感じるとることができた。
「このアルバムは私の生まれ故郷ミネソタの思い出を表現したものです。Thompson Fieldsは私の隣人の実在の土地で、その素晴らしいファミリーと美しい風景を楽曲で表現しています」タイトル曲の演奏前のMCでマリアが語った。そして1stセットが僕がこのアルバムで一番好きな曲、Walking by Flashlightで終了した時、少し涙が出た。たっぷり1時間30分近いステージだった。

1stセット終了後、予想通りマリアは客席でゲストと話したりしていたので、持って来たCDにサインをお願いした。恥のかき捨てとかいう奴。するとマリアは「もちろん、ちょっとついてきて、あっちで話しましょう」。言われたとおりにすると、中央付近の男性の近くのテーブルに案内された。何か雰囲気が違うな、と思っていたがこの辺は音楽関係者の招待客のエリアで、その男性は音楽プロデューサーでもう14ぐらいグラミー取ったアルバムをプロデュースしている、と紹介されたのだが、名前を覚えることできなかった。そんな偉い人にカメラのシャッターを押してもらった。
マリアには新作はどうだったか聞かれた。僕は「とても心温まる音楽だと思います」といささか間抜けな答えを返す。するとプロデューサーが「そう、そして美しい(Beautiful)」と加えた。彼は何回かその言葉を使ったが、確かにマリアの音楽を表現するには最も適切な言葉だと思った。

すぐに2ndステージのSeatingが始まった。実は1stステージが始まる前のこと。ステージまで10mもないし、音響的にはこちらの方が良いということもあるのでまあ、良いかなと思ったがせっかくならステージにもう少し近いところで観たいな、と思い、「2ndステージも予約しているので可能だったらもう少し近い席に移動できませんか?」と白いスーツ姿のマネジャーにお願いしたところ、「分かりました。生憎1stは混み合っていてこちらでお願いしたいが、2ndはステージ前の席をご用意しますよ、私がケアします」と答えてくれていた。
中々名前が呼ばれないな、と待っていたら、マネジャーが僕を見つけてくてて、「ああ、こちらです」と案内してくれたのは何とマリアの前のテーブルだった。AKBで言えばセンターを取ったということか。開演前に、日本から来たんですよ、なんて話をしていたので配慮してくれたと思うのだが、素直に嬉しかった。

2ndステージは23:00過ぎに始まった。17人のアンサンブルの音が直接響いてくる迫力にドキドキした。非常に月並みな言い方だがやはり本物は違う、というか他の表現が思い浮かばない。
ただ、実はマリアと(有名プロデューサーと)話している時に彼女は「今朝からBack stomach acheがあって。こんなの初めてなのよ」と言っていた。近いので少し辛そうな表情も見えてしまい、心配しながら観ているということにもなった。1stに比べてもマリアの指揮の躍動感は些か後退していたようにも感じた。
楽曲は旧作中心。新作からはHomeぐらいだったと記憶している。1時間10分ぐらいのステージが終了した時には24時を大きく回っていた。ステージは観客のスタンディングオベーションで終了した。熱狂的というよりは暖かい感動がオーケストラを包んでいるという印象だった。僕は深夜の8番街を歩いて帰るという最後の仕事の前に、マネジャーに改めてお礼を言って店を出た。

時差ぼけもあったのか僕はホテルに帰ってから中々寝つけなかった。ここまで来たから感じることができた多くのことが頭をぐるぐる回る。こころは暖かく興奮が冷めない。ライブは本当に素晴らしかった。でもマリアの身体は大丈夫だろうか、プロデューサーはマッサージを薦めていたが行ったのだろうか。
そしてニューヨークに来てマリアに会う、というイベントが終わってしまったことに気づいて少し寂しくなっている。細やかな野望だったけど、やっぱりこれが今年の大きなモチベーションの一つだったみたいだ。でもやっぱり疲れていたのだろう、やがて深い眠りに落ちていた。

マリアに会ってからもう1週間経ってしまった。僕はまた東京で退屈なサラリーマン生活に戻っている。今晩は久しぶりに夏菜子と行きつけのイタリアンレストランで待ち合わせしている。実は時間が無かったり、これという品物に出会わなかったため大事なお土産を買って帰ることができなかった。彼女がまさかお土産「話」で許してくれる筈はないだろう。この渋谷のイタリアンは一般には出回らない美味いイタリアワインを提供してくれるのだが、当たり前だが中々良い値段にはなる。1本奢れば許してくれるだろうか。
「あれあれ、何があったんですか?」ウェーターはいつも通り僕らをいじるのだろう。そして笑いが溢れるのだろう。夏菜子にもお店のスタッフにもマリアに会って感じたことを伝えたいと思う。そう思うだけで心がほのかに暖かくなる経験なんて、そうはない。

僕はニューヨークに行って、マリア・シュナイダーに会って来た。

(おわり)

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