見出し画像

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』ティーチインまとめ

『デデデデ』後章上映後、原作者浅野いにおによるティーチインにおけるトーク内容、Q&Aまとめなど。(2024.6.23@チネチッタ川崎)

・「デデデデ」の原作と映画版のラストは、はじめ母艦の爆発で終わる予定だった。

脚本家から上がってきた第一稿のラストは、母艦が爆発したところで終わっていた。それは実は漫画を描いている時にいちど想定していた終わり方だった。

原作を描き始めた当初は、宇宙艦が空にある非日常が日常になった世界で淡々と普通に暮らしていく話を描きたかった。キホが死んでしまうまでみたいな、母艦の下で女子高生が楽しくやっている物語をずっと続けていたかったが、途中でそれをやめて(ドラマを作り)エンタメ寄りにした。

・物語は、映画版後章の自衛官が手を掴むかどうかが分岐点になっている。
 
 あそこで大場が自衛官の手を取らなかったからおんたんと門出に再会できた。映画版のラストは(原作と違っているが)ブレてる中でのひとつの可能性として描かれている。
 ラストの海岸のシーンの再会エンドにおけるほかの可能性としては、海岸に打ち上げられてる大場をふたりが見つけるというもので、セリフがないというのもあった。けれど、最後までふざけていてほしいと思ったのでああいう終わり方になった。映画版のラストは浅野いにお案である。
 原作ではその後地球がひどいことになるまでを描いているから、あんなに楽しそうにやっていられなくなっている。映画版はふざけていられるぎりぎりのところで終わっている。

・あのテンションとノリは映画版の脚本家も書けないということで、
おんたんのセリフは浅野いにおが書いている。
 
※原作者として映画版制作側に丸投げするのではなく、セリフやストーリー展開にも発案するなど、かなり深くかかわっていた模様。今後、映画の話があっても自分が参加するかどうかはもうわからないけれど、この作品はやれることをやりました、というような話をしていた。

(当日のフォトセッションにて。原作者浅野いにお氏)


Q&A
Q:(外国からの方)浅野いにお先品(やほかの日本の漫画は)学生を主人公にしたものが多いが、なぜか? 学生時代というのはどういうものだと考えているか?
A:学生時代というのは、若くて刺激を受けやすい時期だからこそ物語にしやすい。人間は10代の時の価値観がもとになって出来上がっていると思っているし、日本人の学生時代には個人差がないから共通体験として話にしやすい。なるべく多くの人に読んでもらうため、学生を主人公にするのだと思う。

Q:(漫画版の)侵略者の言葉を解読したいです。
A:正確には原作者でも解読できない(笑)。あれはアシスタントに特別にそれ用のフォントを作ってもらい、セリフを打っていたから解読は無理。アルファベット入力をするときにも独自のパターンで入力した上で、フォント出力していたので、もう元の日本語が残ってない部分もある。

Q:タイトルの意図は?
A:連載開始当時、SNSを意識したタイトルの漫画が多く出たので全力でタイトルを長くした。「デーモン」、「デッドデッド」、「デストラクション」まで決まって、最終的に「デデデデ」を入れた。

Q:コンセプトが変わったという話があったが、具体的に教えてほしい。
A:変更した部分のひとつ目は、侵略者のいる日常を描き続けることをやりたかった。けれど、宇宙船が空にある以上、物語の展開として戦闘を望む声が多くなった。けれど、原作の4巻くらいまで侵略者がどういう造形をしているのか考えていなかったくらい、侵略者の姿が見えない話にしたかった。
 すぐにわかる通り、この話はドラえもんのオマージュであり、ドラえもんで描かれたパラレルワールド、タイムスリップ、空を飛ぶ、みたいなことをやってどういう現象が起こるのかをやりたかった。
 そしてドラえもんオマージュということで、居候ものをやりたかった。もちろん居候は大場である。
 ふたつ目は終わり方。母艦が爆発して終わりにしたかった。延々と続く日常をやって、突然地球が爆発して終わる物語にしたいと考えていた。当初は災害に意味を持たせず、みんな等しく死ぬ終わり方がいいと思っていたが、キャラに情がわいてしまい、そこからの着地を考えたため、おんたんの過去を考えはじめた。そこで漫画的ダイナミックなエンタメ作品になった。


Q:浅野いにお作品に多大なあこがれがあり、恋愛を含めて自分の私生活も影響されたと思っている(やめたほうがいいと思いますよby浅野いにお)。どんな青春を送ったらこういう物語を描けるようになるのか?
A:これまでの作品と違って、「デデデデ」では恋愛要素を薄めにしたのはわざとである。おんたんに異性愛はなく、そもそも恋愛をわかってない人だと思う。誰かひとり特定の相手というよりは、誰に対しても愛情がある。その中で、マイノリティの中の最たる存在としての大場に感情を持つ。対して、門出はごく普通の女の子で、作品中でもわかる通り普通に恋愛をする。
 そもそも(浅野いにお自身が)ヒーローとか戦うような話に興味がないので、そういう展開にはしないけれど、そうすると漫画は描きづらい。恋愛はわかりやすく勝ち負けがあるから、恋愛を描いているんだと思う。
 「おやすみプンプン」という作品に出てくるキャラ、あいこちゃんのモデルは元カノで、今で言うメンヘラ気質の人だった。当時は「メンヘラ」という言葉もない頃だから、(彼女の言動が)すごく新鮮だったし、どういう人物なのか興味もあった。その彼女に、別れ際に「一回も好きだと思ったことない」と言われたのにはびっくりした。3年も付き合ったのに!
 その彼女と付き合っていた当時と比べて、現在の現実社会において、メンヘラと言われるような人たちがたくさんいるのは、現代的な理由があるからなんだろうと考えているし、漫画を描くことは現代社会の問題を含んでいくことだから、キャラとしてそういう人が出てくるのは当然だと思う。
 (「おやすみプンプン」の連載当時より)自分も大人になったので、「デデデデ」は俯瞰して描いていると思う。作品を描いていると、毎回、自己投影するキャラがいたけれど、今回「デデデデ」は自分の投影がない。強いて言えば母艦だった。俯瞰してキャラクター達を見守り、最終的に爆発するものとして自己投影していた(笑)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?