おいらおいら詐欺

今日は取り立てて何もない一日だった。

朝起きてから昨日買った古本を読んだ。ホフマンという作家の砂男という短編で、なんとなく江戸川乱歩っぽさを感じる話だった。
そのあとは何日か前に買ってた「安全なWebアプリケーションの作り方」の環境構築だけ済ませた。

そして何となく出かけ、店に入りお好み焼きを食べ、多少酒を飲んで帰宅し、だらだらと過ごしていたら1日が終わってしまった。

あ、そうだ。今思い出したが健康診断の予約を行った。
ずっと行かなければと思っていたのだが、何となく後回しにしていたものを酔った勢いで予約したのだった。こういう手続き的な雑務はやってみると意外なほど早く終わるのに、なぜこんなに後回しにしてしまうのだろう。

今気づいたけど、どうせ日記を書くなら公開する形の方が続くだろうし、多少人に読んでもらえた方が嬉しいだろうと思ってこのnoteを始めたが、公開しているとディープな個人情報を書くことができないのであまり日記として機能しないな。本当は行った店名とかも書きたいのだけれど、生活圏内にある店なのでちょっと憚られる。
行動の記録とか備忘録というより、考えたことを書き記していく方がメインになりそうだ。

一人称について。

昨日日記を書くときに一人称をどうするか少し悩んだ。
結局、口頭で話すときによく使う「俺」にしたのだが、せっかくなのでもう少し珍奇なものにすればよかったのかもしれない。確か筒井康隆とかは、どっかのタイミングでエッセイの一人称が「小生」になっていたような記憶があったけど、あんな感じで「余」とか「麻呂」にしたらそれだけで何となく高貴な感じになるんじゃないか。

そもそも、改めて考えると何故自分は一人称として「俺」を使っているのだろう。小さいころは多分、自分のことを「僕」と言っていたと思うが、幼稚園を卒園する頃にはもう「俺」だったと思う。
どこかのタイミングで、切り替えようという意思が働いたはずだ。もはや全く覚えていないが、なぜその時「俺」だったんだろう。なぜ切り変えたのかもわからない。

覚えてはいないが、何となく周りに合わせただけのような気がする。少なくとも俺の観測範囲では、男子は小学生くらいから「俺」を一人称に選んでいる者が9割以上だったはずだ。何となく変わった一人称のやつもいた気がするが、高学年になるにつれそいつらも「俺」になっていたと思う。

この均一化のタイミングで何がメインストリームになるかって、多分年代とか地域によって違うんだろうな、wikipediaの「日本語の一人称代名詞」というページを読む限りでは、一昔前は地方によってバリエーションがあったらしいが、最近はメディアの普及につれて「ワイ」「おいどん」とかは言わなくなっているらしい。

今小学生の間では、ひろゆきが人気らしいし、気づかないうちに「おいら」がメインストリームになっていたらどうしよう。そもそもあの人口頭でも「おいら」って言っているのか知らないけれども。

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