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当事者と部外者の間〜フリーランス病理医日記2020年8月

「共事者」の「矜恃」

 Natureと並び一流科学誌とされるscience。このscienceが研究者のためのキャリアサイトを運営していることを知っている人はどれくらいいるだろう。

 ここにある衝撃的な記事が掲載された。外国人の女性研究者がポストドクターのための就職面接のとき、「子供を持つ気があるのか」という質問をされたというのだ。

 ネット論客のSivad氏が全文を日本語に訳しているので参照にされたい。

 21世紀も半ばに入り、もはや諸外国では論外のこうした質問をしているとは…。このままでは日本の研究は世界の優秀な研究者から見向きもされなくなるのではないか。

 日本は大した才能がない男性研究者を守るために、優れた女性や外国人を守ろうと、「保護貿易」をしているのか…。しかし、それでは日本の研究は没落するのは目に見えている。今は優れた頭脳をどんどん活用しないといけない時期なのに…。

 憤りを感じつつ思い出したのが、ある大学の教授が書いた本だった。

 このページのことは、昔から話題になっており、Twitterでも批判する人がいた。私もその一人だったのだが…。

 この呟きに対して、本人に言わず非難するのは卑怯だ、本人に直接言え、研究をよくしたい本気で思っているのか、というお叱りをある著名な教授の方から受けてしまった。

 正直困惑した。なぜ私が。今研究者でもなくて、単なるフリーの病理医なのに…。

 いろいろ考えたのだが、覚悟は決まった。そこまで言われたら受けて立つと。

 私はもともと研究者志望だったが、二度研究室を辞めることになって、職業研究者になることを断念した人間だ。こうした経験から、研究環境を改善し、博士号取得者の活躍の場を拡大していくために活動をしている。

 フリーランスで大学に所属もしていない単なる病理医にすぎないのだけれど、そうした存在だからこそ、できることがあるはずだ…。

 最近「共事者」という言葉を知った。

 「新復興論」で第18回大佛次郎論壇賞を受賞した小松理虔さんの言葉だ。

当事者ではない。当事者を直接的に支援しているわけでもない。研究者でもなければジャーナリストでもなく政治家でもない。プロフェッショナルでも専門知識を有しているわけでもない。けれど、当事者性はゼロではなく、社会の一員としてその物事を共にし、ゆるふわっと当事者を包み込んでいる。そんな人たち。あるいは、専門性も当事者性もないけれど、その課題と事を共にしてしまっている。そのようなゆるい関わり方。それが現段階でぼくがイメージしている「共事者/共事」だ。

 私の場合、支援者に近いのかもしれないし、ジャーナリスト的な部分もあるし、ある種の専門性はあるのかもしれないけれど、当事者ではないが当事者性はゼロではないという部分は、今の私の立ち位置に近いのかなと思った。

 研究者をめぐる問題は、「部外者すっこんでろ」感が強い。

「あなた何本論文書いているのですか?もう少し偉くなってから言ってくださいね」

 と言われてしまうこともある。

 しかし、それでは問題は解決しない。当事者ではない人間が関わってこないといつまで経ってもマイノリティの問題で終わってしまう。

 そういう部分で、研究歴があるけれど今は研究者ではないという人間が、無関心層の間に入ってゆるく関わってくれたら、状況は変わるのではないか。

 しかし今の研究者コミュニティは、コミュニティの外側に出た人間に冷淡だ。敗残者の烙印を押し、放り出すばかりだ。これは非常にもったいない。

 小松さんの言われる共事者の拡大解釈なのかもしれないが、私は共事者として、この問題にコミットする。

 現在女性研究者の活躍等に関するウェブ上のイベントが開けないか企画している。共事者としての矜恃を見せてやろうじゃないか。そんな思いだ。

バズる

 Twitterを始めて11年。最初の頃は盛んにやっていたが、東日本大震災以降の刺々しい言葉のやり取りに辟易したのと、職場の職務専念義務、多忙などともあって半分遠ざかっていた。フリーランスをきっかけに復活したのは先月書いた通り。

 復活後のひとまずの目標としていたのが、フォロワー数1万人だ。別に理由はない。5桁になってみたいなあと思っただけ。

 震災前に7000人程度だったがその後半放置。先月投稿に反響があり9000人台半ばには到達していた。とはいえ、1万人は遠いなあと思っていた。

 ところが、一つの投稿で数百人のフォロワーを獲得し、あっさりと1万人を超えた。

 年齢による壁を感じている方々の心の機微に触れたのだろうか。みるみる増えるフォロワーの数に驚きを感じていた。

 フォローしてくださる皆様には御礼申し上げたい。

 とはいえ、9000人から1万人になったところで世界は何も変わらない。

 今まで通り、「知を駆動力とする社会」の実現のため、地道に行動していくのみだ。

クレジットカード

 あんまり仕事のことを書いていないので最後にまとめて。

 事務所の会社でクレジットカードを作ることができた。これで様々なものが購入できるようになった。

 当たり前と思っているいろいろなことは、決して当たり前ではなく、誰かがやっているのを気がつかないだけだ。会社経営と個人事業主をすることで、それが肌感覚で分かる。

 複数の病院などを駆け回る毎日。止まってしまえばたちまち無収入。

 けれど、地べたを這いずり回り、みっともなく泥臭くとも生き抜いていきたい。こんな生き方が誰の救いになりますように。

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