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嘘つきと呼ばれたい〜フリーランス病理医日記2020年12月編

 2020年12月も終わろうとしている。

 公立病院の常勤職を辞め、フリーランス病理医として悪戦苦闘した2020年。新型コロナウイルスの影響を誰しも受けた2020年。そんな自分史的にも世界史的にも大きな一年が終わる。

 この一年を振り返ろうと思ったが、概ね毎月書いているので、今月の振り返りに留めたい。

事務所に机

 本当に些細なことなのだが、個人事務所(一応合同会社にしている)に机と椅子を入れた。

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 それだけで事務所っぽくなって、やる気が出た。実はこういう些細なことに色々なものが宿るのだなと…。

 他にも事務所(会社)の収入にちょっと余裕が出たので、ウォシュレットを購入したり、ウェブ中継用の撮影セットを購入したり。

 社員自分一人の零細事務所だが、会社経営と個人事業主の経験は本当に得難い経験になっている。

 お金のこと、法律のこと、その他色々なことをよく知らずに生きていたなと思うくらい。NPO法人や一般社団法人の代表の経験ももちろんあったが、それらはあくまで副業であり、生計を立てることとは異なっていた。

 お金を稼ぎ税金を払うことだけで、こんなにもやることがあるのかと思う。これに加え人を雇ったりしていたら、どれほど大変なのだろう。

 自分の力でお金を稼ぎ「飯を食う」ことはどんなことでも非常に大変で、かつ尊いことだと心から思う。

嘘つきと呼ばれたい

 私は20年ほど、若手研究者のキャリア問題について記事や本を書いたり、講演をしたりするなどして、少しでも状況が改善するように願って活動を続けてきた。

 特に、博士号取得者など高度知識人材の多様なキャリアパスの促進は大きな問題だと思っており、こうしてフリーランスになり、一人会社を経営しているのも、こういうキャリアもあるよ、ということを示したいという意味もある(もちろん理由はそれだけではなく、政府や研究機関から独立した存在でいたいという思いも強い)。

 1997年に蛋白質核酸酵素の40周年記念論文に入選したのが最も古いものだと思うが、その直後、1998年2月の「研究問題メーリングリスト」の開設は、人生を変えたと言ってもよい。

 ウェブ上には記録がわずかしか残っていないが、検索したら以下のようなものが出てきた。

インタビューシリーズ「市民の科学をひらく」(8)NPO法人サイエンスコミュニケーション(2006年)

 上記に書かれているように、色々悪戦苦闘しながら、研究者のキャリア問題に取り組んできた。

 2005年には小林信一さん(現広島大学副学長)たちが行った調査「研究者のノンアカデミックキャリアパス」にも加わっている。

 2006年には「失敗しない大学院進学ガイド」(日本評論社)を出し、2010年には「博士漂流時代」(ディスカヴァー)を出した。2014年の「嘘と絶望の生命科学」(文春新書)でも一貫して若手研究者のキャリア問題を訴えている

 こうした中、たくさんの方々と実際に会い、政府の会に出たりしてきた。

科学・技術ミーティングin大阪について【平成22年3月20日】

イノベーション創出若手研究人材養成評価作業部会 委員名簿(私の名前があります。数年間にわたりこれら事業の委員を務めました)

 この中で、研究職に就かない院生を指導放棄したり、大学内のキャリア関連の講座に院生を出さない研究室があるといった実態を聞いてきた。

 博士号取得者が多様なキャリアパスに進むのを阻害しているのは大学や研究機関にいる一部の教授、指導者なのだということを痛感してきた。

 だからこそ、以下のようなツイートをした。

 いいねをたくさんいただいたが、一方でそんな人を見たことがない、という声もあった。そんな人どこにいるのか、と嘘つき呼ばわりする人も。

 ちょっとムッとしたが、よくよく考えたら、20年に及ぶ私たちの活動が多少なりとも効果があり、博士号取得者が様々な分野に進出することが当たり前になってきているとしたら、それは喜ばしいことなのではないかと思うに至った。

 もちろんそこまで聖人じゃないので、ちょっとは知ってもらいたいと思ってこうしてnoteなんかに記事を書いているわけだけど、少なくとも地位や名声とは無関係で在野にいる。

 社会運動が成就するということは、こういうことなのかなと…。

 問題が解決し当たり前になることで、問題解決に尽力した人々は忘れ去られていく。

 承認欲求や自己顕示欲を完全に無にできるほど聖人になりきれていないけど、自分はこうでありたい。一方でこうした無名の人は讃えていきたい。

 人生の目標ができた。嘘つきと呼ばれるまで、頑張っていこう。

2021年に向けて

 新型コロナウイルスの感染拡大は止まらない。1ヶ月後がどのような世界になっているのかわからない。

 こんな中、フリーランス病理医としてひたすら標本をみる毎日だが、生き残れたことに感謝したい。

 そして明日からも、やるべきことをしっかりやり、一歩一歩着実に進んでいきたい。

 2021年もどうぞよろしくお願いします。

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