病理医が悩む「今すぐ写真撮って!」問題を研究公正から考える
「病理の写真を撮ってください。なるべく早く」
ああ、そういうシーズンだなあ。秋は、というか秋も学会シーズン。症例の発表をしたいので、病理組織標本を写真を撮ってください、という依頼が相次いでいる。
フリーランスで仕事しているので、結構影響は大きい。複数の施設に勤務しているので、一つの施設にいる時間は短い。写真を撮る時間が診断時間を圧迫してしまい、結構悩ましい。
この「写真撮って」は、病理医共通の悩みだ。
時間の余裕があればいいのだが、今日まで、明日まで、今週までに写真をください、と言われると、通常業務を圧迫してしまい、残業続きになってしまう。
もう一つ、悩ましいのが、この写真撮影が本業を圧迫するのみならず、業績にならないケースが多いことだ。
まだ自分の名前が出て、業績になるのなら、やるか、という気になる。
しかし、急に写真を依頼するということは、発表者に病理医の名前がないということだ。
学会や研究会レベルのみならず、論文でさえときに私たち病理医の名前がないことがある。
私たちは写真を撮るだけの人間ではない。私たちが診断したことが論文の重要なデータになっている。組織写真のどの部分を示すのかを決定し、組織像の解説をしている。にもかかわらず、発表者どころか謝辞にも名前が載らないことが多い。
ひどいのになると、一度名前を載せることを約束したにもかかわらず、発表者の人数が限られているという理由で名前を消され、事後報告というのもある。ヨーロッパの大きな学会の発表だったので、え?そりゃないよ!あれだけ時間かけたのに!とガッカリしたことがある。
また、学会発表用の写真を無断で論文にされて、査読者からなんで病理の名前がないのか、と指摘されて、リバイスから論文に参加、というケースもあった。
我々の貢献が反映されず、あたかも血液検査のデータの数値のように自動的に出てきたものとされているのに複雑な思いを抱く。
この思いは、単に不満だ、という個人的なものではない。
研究公正的にも大いに問題なのだ。
ICMJE(医学雑誌編集者国際委員会)が示す著者になる基準を見てみよう。
著者になる基準は以下の4つとされる。
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