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わきまえないということ

フリーランス病理医日記2021年第2号

 矢のように過ぎていった2月。別に特別なことはしていない。ひたすら病理診断をし続けた。でもそのひたすらが重要だと思う日々。

 某元総理の発言で、「わきまえる」という言葉がにわかに話題となった。

 思えば私もわきまえない人生だったように思う。

 大学院生のとき、立花隆氏の学部生ゼミのお手伝いをして、立花氏の言葉に刺激を受けてから、ウェブを中心とした情報発信を続けてきた。

 ホームページを作り、当時としては珍しいウェブ日記を書き始めた。メーリングリストを立ち上げ、全国の大学院生と議論を始めた。

 ところが、90年代後半でこういうことをやるのはちょっと早過ぎたようだ。

 当時の科学技術庁に、大学院生が研究室の秘匿情報をホームページで公開していると通報があるなど、様々なことがあり、ウェブ日記は非公開となった。

 理由はそれだけではないが、博士2年で研究室を辞めることになった。

 その失敗を経て、医学部に学士編入学した。医学生になったあとも情報発信は活発にしており、投書活動を行うなど情報発信を続けた。

 ところが、こうした活動をとがめられ、研究室を再び辞めることになった。その大学の学士編入学では、論文を一本書くことが卒業の要件であったので、研究室を追い出されるということは、せっかく入った医学部を退学することにつながりかねない重大な事態だった。

 拾ってくれた研究室の配慮もあり、なんとか論文を書き、卒業することができたが、苦い思い出だ。そのあたりの経緯は2006年に文章化されている。

 これら2度の研究室追放は、学生という立場をわきまえずいろいろやり過ぎた、ということなのかも知れない。

 その後もある程度わきまえたつもりではあるが、ときに政府の偉い人の前で堂々と自分の意見を言ったりするなど、外から見ればわきまえない人間に見えていたことだろう。

 研究不正について発言することも、わきまえない行為だ。だから様々な批判を浴び、ときに脅しのような言葉を受けたこともある。次第に既存の組織に所属していることの息苦しさを感じるようになり、広い意味でのフリーランスとして独立した。フリーランスといっても、会社を立ち上げ、かつ仲間とやっている一般社団法人が活動の中心になっているので、社会起業したという感じではある。

 このようにわきまえないことで、正直多大な影響を受けた。

 研究は何度も中断。居場所がなくなること度々。決まりかけた人事異動は消え、名誉毀損の内容証明郵便が届いたこともある。

 何度となく「そういうのは偉くなってから言え」と言われた。つまり「立場をわきまえろ」ということだ。

 だから身の危険を顧みず、主張し続けろなどという気はさらさらない。私のようになっちゃうかもしれないよ、注意しろよ、と言わざるを得ない。

 私とて、学生時代の2度の追放以降は、医師免許という資格、仲間と団体を作るといったことで、たとえ何らかの攻撃を受けても致命傷を負わないようにしてはいる。

 とはいえ、誰かが声をあげないと世の中変わらないのも事実だ。

 ある国会議員の秘書の方から、「若手研究者のキャリア問題が大変だと言っても、誰も陳情にこないよ。本当に問題なの?」と言われたことを思い出す。

 SNS時代に問題を発言することのハードルは下がったが、SNSだけでは世の中が変わらないのも事実だ。だれかが「わきまえない」行動をしないといけない。

 けれど、一人一人がちょっとずつわきまえない行動をすれば、誰がわきまえてないか分からないし、全体で大きなわきまえない動きとなる。その一つが日本版AAASだと思う。

 またわきまえない行動は楽しくやったほうがいい。なんか楽しいことやってるな、のぞいていこうかな、という偶然居合わせた人たちも巻き込めたら、大きな動きになるかもしれない。

 そんなことを思いながら、これからももっとわきまえない行動をしていこうかなと思っている。わきまえないことで出会える人との交流を、何にも属さないフリーランスでいることを楽しみながら。

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