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愉快に暮らすことこそ、最高の復讐である

 あの日から20年。

 上のTwitterのスレッドに書いた通り、ちょうど20年前の11月29日、私が書いたNature誌の投書が、私の人生を大きく変えました。

Japan's funding cuts hit the future of science

 当時存在していた日本育英会が、日本学生支援機構に改編されるとき、教員等になった際の奨学金返還免除制度が廃止されるという話を聞き、それでは研究者になりたい人が減るのではないかと異議を申し立てる内容の投書をしたのです。

 結果はすでに何度も書いてきている通り、研究室を追い出されることになりました。

そして、研究者の仲間内だけで議論していてもいけないだろう、ということで、まずは投書でもしてみようと考え、朝日新聞やネイチャー、日経サイエンスに投書しました。それが紹介されたのは良かったのですが、そのとき医学部に研究生として所属していた私は教官にとがめられてしまって、そんな暇があるなら研究するべきだと研究室を追い出されてしまいました。

インタビューシリーズ「市民の科学をひらく」(8)NPO法人サイエンスコミュニケーション(2006年)

 当時私は神戸大学医学部医学科の4年生で、学士編入学制度で入って1年半ほど経っていました。

 この神戸大学の学士編入学制度は、基礎医学者養成コースで、論文を1本書かないと卒業ができないというカリキュラムでした。

 別の研究室になんとか拾ってもらったものの、4年生の後半で研究がゼロになってしまい、医学部高学年の臨床実習等が忙しい時期と研究が重なってしまうということで、所属した研究室には多大なご負担をかけることになってしまいました。

 当時長女が生まれ、私生活でも厳しい状況で、もし卒業ができなかったら資金がショートして退学の恐れもありました。実はもうだめだ、卒業できない、と諦めて無気力になりかけた時期もあります。

 所属研究室の多大なご尽力で、2003年の12月25日くらい、医師国家試験の直前、卒業の判定会議が行われる直前になんとか論文が通りました。早く論文が通る雑誌になんとか掲載されるように、様々な方々がご尽力くださり、いくら感謝してもしきれないほどの御恩をいただきました。

 それからの3ヶ月弱で医師国家試験の勉強を詰め込み、試験は合格最低点より20点しか上回らないという極めてギリギリで合格することができました。

 本当に危機一髪だった時期で、もう2度と繰り返したくはないくらいです。

 これが2度目の研究室「追放」であり、流石にもう研究は懲り懲りという気持ちになりました。論文がアクセプトされた日、マイクロピペットを実験室の机の上に置き、私は「普通の医学生」に戻りました。もう2度と職業研究者、特に実験を行う「ウェット」な研究を行う研究者にはならない、と固く決意し、今に至ります。

 この2度目の研究室「追放」は、私を崖っぷちに追い込んだという苦い思いです。けれど、これがあるから、今の私があります。

そこで、一人で発言してもだめだ、もっときちっと、仲間と発言しければと考えて、NPOをつくろうと思い立ったのです。NPOならば信用も得られ、個人が矢面に立たされることもないですから。

(前述ページより)

 NPO法人を作り、そこで本を出し、それがきっかけで注目され、様々な本を書くようになりました。政府の会などにも呼ばれるようになり、テレビを含めたメディアにも出たりするようになったわけです。

 わらしべ長者みたいな感じですが、これこそクランボルツの「計画的偶発性理論」の実践という感じです。その理論を知ったのは実は2000年代半ばなのですが、ああ、自分の人生ってそういうことだなあと思ったのです。

 というわけで、20年前のNatureの投書は、良い意味で人生を変えたなあと思っています。

 だから、学生を研究室から追い出すことができるという構造に憤りは感じつつも、私を追い出した教授には恨みなど感じません。

 私憤を公憤に、と思っています。人生を誰かを恨むことで終わるのではなく、それを社会を変える方向に持っていきたいと思って生きています。

優雅な生活が最高の復讐である」という本があります。カルヴィン トムキンズが書いた本ですが、この「優雅な○○」という言葉を知ったのは、実は以下の本がきっかけです。

優雅な留学が最高の復讐である

 著者の島岡要先生にご恵贈いただいた本ですが、上記のトムキンズの本のタイトルが元ネタです。

 そしてトムキンズの本も、どこかの諺だという「愉快に暮らすことこそ、最高の復讐である(living well is the best revenge)」がもとになっていると言います。

 私が今、それなりに日々暮らしていけていることこそ、私を追い出した教授への最大の「復讐」だと思っています。

 というわけで、「追放」20周年を心の中で祝いたいと思います。

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