「今」が勝つ日まで。
九州の山奥へ失踪してから、もうすぐ一年が経とうとしている。あの日私は、裸足のまま竹藪を掻き分け、奥へ奥へと進んだ。痛くも寒くもなかった。
何時間も獣道を歩き続けた。誰もいない境地を目指して進むのだった。決して足を止めてはならなかった。どこまでも行ける気がした。無敵だった。あともう少しで楽になれる。希望に満ち溢れていた。しかしそれは叶わなかった。いつしか疲れてへたり込み、そのまま眠った。凍えて目が覚めた。全身が激しく震え、死を目の前に感じた。怖くなった。最後の力を振り絞り、暗闇の中で灯りを探した。遠くの方に民家だろうか、おぼろげに光るものを見つけた。足は傷だらけで痛かった。呼吸がしづらかった。助けてと叫ぼうとしたが声は出なかった。自力で行くしかなかった。どのくらいの時間がかかったのだろう。民家へ辿り着き、扉を叩いた。住民が出てきて私の姿を前にし、ギョッと腰を抜かした。何故だかはわからなかった。すぐに車で捜索現場まで連れて行かれた。パトカー、救急車、消防隊のサイレンの光で、漆黒の山が赤色に染められていた。優しそうな婦人警官が私にぴったりとくっつき、もう大丈夫だよとしきりに声をかけた。何が大丈夫なのかわからなかった。そのままパトカーで病院に連れて行かれた。五、六人の男性警官に囲まれて、知らない医者の診察を受けた。早くこの場から逃げたいと思った。もう少しで楽になれるところだったのに。思いが溢れ返り、暴れた。すぐに男たちに身体を抑えられた。私は男たちを噛み殺す勢いで払い除けようとしたが、到底敵わなかった。医者が私の服から肩をむき出し、注射針を打った。何の薬液が入っているのかわからない注射を、断りもなく刺されたことに怒りが爆発した。「私のことをなんだと思ってるんですか!」と大声を上げた。医者は「患者さんです!」と負けないくらい大きな声を張り上げた。それでもこの場から逃げることを諦めずに騒ぎ立て、抵抗し続けた。
気づくと私は薄暗い小さな部屋にいた。ベッドと簡易トイレだけがある鉄格子の部屋。食料が通るほどのわずかな隙間と鍵の閉められた扉がある。扉の向こう側は見えない。時計がない。今が何日の何時なのかわからない。恐ろしかった。何か悪いことをしたのだろうか。知らぬ間に殺人を犯してしまったのだろうか。物音ひとつ聞こえない無の空間で絶望し、いつの間にかまた眠った。
目が覚めた。トイレに行きたくなったので、扉を叩いた。人が来て、扉を閉めたまま、そこのトイレでしなさいと言った。水で流すことのできないトイレ。急に扉が開いて誰かに見られるかもしれないトイレ。何故こんなところで用を足さなければいけないのだ。私は拒み、トイレを我慢した。食事が来た。これが何ご飯なのかはわからない。白ごはんと味噌汁とおかずがあった。全部今まで食べたことのないくらい不味い食事だった。しばらく食べ物を摂っていないような気はしたが残した。食事の後、医者が来た。少しは落ち着きましたか?と訊いてきた。耳を疑った。こんな空間で落ち着けるわけが無い。私は暴れた。医者は何も言わずに部屋を後にし、重い扉の鍵を閉めた。パニックはなかなか収まらなかった。劣悪な環境で人で無いような扱いを受ける日々。何故生きているのかわからなかった。閉じ込めるなら早く殺してくれと思った。死んだ方が何倍も良かった。暴れても暴れても変わらない状況に絶望した。
夜なのだろうか。扉の外はものすごく静かだ。突如隣から唸り声が聞こえてきた。絶え間なく扉を叩く音と連動して「出してくれ、出してくれ」と声が聞こえる。お化けのような低くしゃがれた老人の声だった。苦しみの声は一晩中止まないのにも関わらず、外の人たちは応答しなかった。そのとき悟った。暴れている限り、ここからは出られないのだと。それから私は静かに過ごす努力をした。声は出さない。文句を言わず簡易トイレで用を足す。汚物を扉の前まで運ぶ。不味い食事を残さず食べる。決して暴れない。暴れたらこの鉄格子に閉じ込められる期間が延びるだけだ。静かに、存在していないかのように静かに。なるべく寝て過ごした。涙は枯れていた。
きっと昼間なのだろう、扉の外からは話し声がする。人が歩き、通り過ぎるのが聞こえる。誰も檻に閉じ込められた私なんかを気に留めない。また医者が来て、いつものように「調子はどうですか?」と訊く。私は逸る気持ちを抑えながら「落ち着きました。」とだけ答えた。医者は「それでは明日辺りに病棟へ移りましょうか。」と言う。絶望した。病棟とはなんだ。外の世界に帰れるのではないのか。そしてまた暴れた。苦しくて前が見えなかった。どれだけ泣き喚いても手を差し伸べてはくれなかった。自らの脚を壊そうと、力一杯に床へ打ち付けた。しかし何をしても無駄だった。効果の出ない自傷行為に疲れると、また過ちを犯してしまったことに気づいた。二度目の絶望に襲われた。ひとしきり喚き尽くして周りを見ると、部屋にはもう誰も居なかった。
随分と眠っていたようだ。時計がないのでわからないが、身体の怠さが物語っている。堕ちるところまで堕ちた私は、無になっていた。感情の湧かない、ただの物体。食べ物が与えられているから生きているだけで、存在意義はない。医者が来た。口元が動いた。何かを訊かれたようだったので、私は頷いた。
形の見えない窓から光が差している。味のしない食事を摂り終え、天井を見つめていると扉が開いた。「それでは病棟に移ります。」医者にそう告げられ、看護師達に四方を固められながら鉄格子を出た。病棟へ移る途中、幾つもの施錠された扉を通った。
病棟に着くと、病人特有の重たい匂いがした。目に入るのは、生きる気力を失った目をした人達。私のベッドは六人部屋の右手前になった。シャワーの許可が下り、その時初めて数日間体を洗っていないことに気がついた。トイレは男女の仕切りが曖昧だが、水洗式ではあった。円形状の病棟の真ん中に中庭があり、自然光を感じることができる。時計がある。鉄格子より遥かに人間らしく過ごせる場所であった。しかし、電子機器はもちろん、本やノート、ペンの持ち込みさえ許されなかった。電話や面会も禁じられていた為、外の人に助けを求めることもできない。吐き出したいことが山ほどあった。看護師は忙しそうで話しかけられないし、病人は聞き取れない言葉を話す老人ばかりだった。溢れる思いや考え事は、自分の中で飲み込むことしかできず苦しかった。やることが何もなかった。時間が無限にあった。一日三回の食事だけが唯一の予定だった。
入院生活に慣れることはなかった。退屈で孤独で、看護師にばれないように夜は静かに泣いた。でももう暴れることはしなかった。
ある日、医師から退院を告げられた。翌日に両親が空港まで迎えに来るとのことだった。心の奥で歓喜した。でも表には出さないようにした。喜びの表情を見せることも恐ろしかった。
退院の日、男性の看護師と職員に脇を固められながら、車で両親の待つ空港まで向かった。道中、逃げようとしたら、即病院へUターンし再入院になると脅された。逃げる気などさらさら無かったが、体が意と反して逃げ出そうとするのではないかと怖かった。
難なく飛行場へ到着し、両親に再会した。家を飛び出してから三ヶ月、久しぶりに顔を合わせたが、まだ目を見ることはできなかった。熊本空港から羽田空港へ向かう航路で、恐ろしいほど美しい景色を見た。よくわからないが、祝福されているような気がした。
あれからもうすぐ一年。この一年間も随分と苦しんだ為か、遠い昔のことのようだ。しかし絶望の記憶は鮮明に残ったままで、過去に向かって「死ね。死ね。」と連呼していることがよくある。過去が今生きている私を蝕む。いつになったら「今」が勝つのだろうか。そんな日はやってくるのだろうか。期待も希望も失望もない。今はただ、生きていること、息をしていることに精一杯だ。
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