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自殺とは〜私が電車に飛び込もうとした理由〜



「人身事故」がTwitterのトレンドに入っていたので
常々思うことがあり、noteを綴ります。

Twitterを見ていると

「多くの人に迷惑をかけ
他人にトラウマまで植え付けて死ぬなんて
自分勝手すぎる」

「死にたいなら1人で死ね」

「死ぬ前に誰かに相談したりどうにかしたらいいのに」

と言う声や、
それらに対して

「本当に死ぬほど悩んで苦しんでいる人の気持ちが分かっていない」

と言う声も溢れます。



これらは全て、正しいと思います。
でも、これらの発言をする人たちが見えていない側面もあるのです。

今日はそのことについて書きたいと思います。


私は人生で1度だけ、
駅のホームから迫り来る電車に身を投げかけたことがあります。

大学2年生の頃だったと思います。

風俗嬢になった年です。
お店で風俗嬢として働く他にも
様々な方法で売春行為をしたりしていました。

その日私は、
初めて「明らかに騙される」という経験をしました。
人生で初めて借金をしたし、
人生で初めて生でセックスをしました。

詳しい話をしていたら長くなるので省略しますが
お金をもらえる気持ちで
意を決して借金をして生でのセックスを受け入れたのに
結局それは詐欺で
借金した8万円と私の生Virginは
ブラックホールみたいな闇の中にあっという間に消えてしまったのです。

(悪いことしてるから騙されるんだとか
情弱だとかアホだとか
そういう批判はしてもらってもいいけど
意図から逸れるのでスルーします。)

騙されたことに気づく前
ただ借金をして生でのセックスを受け入れた後
下宿していたアパートに一旦帰り
冷凍していた母の手作り炊き込みご飯のおにぎりを食べながら
号泣したのを覚えています。

ただでさえ
そのくらいに自分を傷つけていたことなのに
それは詐欺で、結局何も残らなかったのです。

騙されたことに気づいてどうしようもなくて
でも誰にも相談できなくて
私はホームから線路に飛び込もうとしたのです。




しかし驚くことにその時私は
「死にたい」なんて思っていなかったのです。

ただただショックで落ち込んでいたけれど、
「死にたい」とも「死のう」とも思っていなかったのです。

ただ、普通に電車に乗るためにホームで待っていたのです。


それなのに、
迫り来る電車に吸い込まれるように
勝手に身体が動いていたのです。

それはそれは、
本当に吸い込まれるようにとしか
表現できないくらいに
ただただ勝手に身体が線路の方へと向かっていたのです。


ホームの縁に辿り着く一歩手前で
私は「ハッ」と我に返りました。

その瞬間、
目の前を確実に死ぬ速さで電車が通過しました。

私は無意識のうちに自殺をしかけていたことに気づき
大変恐ろしく感じました。

それと同時に
電車に飛び込んで亡くなる方のある一定の方は
これと同じように引き込まれて
そして我に返ることもなく
もしくは我に返るタイミングが遅すぎて
そして亡くなっているのかもしれないと思ったのです。

なぜそんなことが起こるのか。
それを理解したのは何年も後のことです。

私はそこから何年もかけて
人間の身体や脳ががどのように
刺激を感知したり
世界を認識したり
行動を選択しているのかを
いろんな方面から学びました。

そして様々なことを知りました。

はじめに登場した

「多くの人に迷惑をかけ
他人にトラウマまで植え付けて死ぬなんて
自分勝手すぎる」

「死にたいなら1人で死ね」

「死ぬ前に誰かに相談したりどうにかしたらいいのに」

と言う人たちや

それらに対して

「本当に死ぬほど悩んで苦しんでいる人の気持ちが分かっていない」

と言う人たちが見えていない側面、

それは一言で言うと

「人が自分だと認識しているものは
多くの場合自分ではない」

ということです。

多くの人は
「自分とはこういう人だ」という認識を無意識に作っているし

「自分とはここからここまでだ」という自己の輪郭も勝手に作っているし

「自分の行動は自分で選択している」と疑いもなく信じているのです。

しかし実際のところ
突き詰めていけば
「自分」も「自分の輪郭」も
「行動を選択している主体」さえも
実体は存在しないのです。

これがどういうことなのか
説明するには膨大な時間がかかるのですが

簡単に言えば

「物質は物質として、生命は生命として、
本能は本能として、情報は情報として、
法則的に反応している」
「人間は論理的でありたがるので、
全てそれに意味をつける」

というのが、
ほとんどの人の人生の大部分なのです。

いや全然簡単じゃないわ!という声が聞こえてきそうですが、、、笑

つまりは
自覚している自分というのはほんの一部で
自覚していないところで
人は物理的にも生命的にも本能的にも情報的にも
外部から、及び内部で多くの影響を受けて
その影響に反応するようにして

刺激を感知し、
世界を認識し、
行動を選択しているということなんですよね。

どのような影響を受けているのかといえば

・他人の感情の影響
・聞こえる言葉の影響
・幼少期に大人に躾けられた価値観の影響
・人生のどこかで生存戦略として身につけた価値観の影響
・進化の過程で脅威として遺伝子に組み込まれた情報の影響
・音波の影響
・香りの影響
・電磁波の影響
・光の影響
・神経伝達物質の影響
・ホルモンの影響
・脳内に届く酸素量の影響
・姿勢や動きに連動して変化する脳の影響

などなど、
それはもう数え切れないくらいの影響を受けているのです。

そして、同時に他人にも影響を与えているのです。

極端なことを言えば
「会社に行きたくないな」とか
「あの上司まじウザいな」とか
そうやって心で言ってる人が集まった影響が
誰かが電車に飛び込む手助けになってしまうこともあり得なくはないんですよね。

逆に言えば
「今日もいい日になるな」
「今日もいいお客様に出会えて感謝」
と心で言ってる人が集まった影響で
誰かが電車に飛び込むのを止める可能性もあり得なくはないんですよ。

私たちは
何を着て、何を食べて、何を飲んで
何を考えて、何を話して、何を買って
どんな気持ちで、どんな目的で日々生きるのか

何を食べず、何を飲まず、何を買わず
何を言葉に出さず、何を手放して
何を人生に持ち込まないと決めるのか

それら全てが
自分自身にも知らない誰かにも影響を与えていることを
もう少し自覚するべきなんですよね。

他人にもっとこうすればいいのにって
思ったり言うのは簡単ですが

最も影響を変えられるのは自分自身。

まずは、一人一人が
自分自身が受けている影響に目を向けて
自分自身を大切にすることが
住みやすい日本への第一歩だと思います。


最後に。
死にたくなった時もそうじゃない時もオススメ。
こっちのけんとさんの『死ぬな』のMV置いておきます。

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