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虚無の箱のコレクション

出会いなんて息をしている限り山ほどあるのに、惜しいと思った回数は片手に収まる。不思議だと思う。

惜しく思わなくなるところまで、その人の生活の線に触れられない遠い場所まで、私が離れてしまったのか。

それでも生活は続く。時間は流れる。
小学校にある、ズタズタに落書きされた学習机。
日曜日の教室で、朝日に当たって輝いている机と空気中を漂う埃。
誰もまだ降りて来ていない、朝のリビングの静けさと暗さ。
誰にも座られていない、ジェットコースターの座席の真夜中の冷たさ。
アパートの横についている非常階段を毎日照らす西日。
引越した後の、以前住んでいた街の景色や、人。
久々に会った旧友の、その人がそれまで過ごしてきた時間。

全てのものに同時に時間は流れていて、毎日太陽と月に照らされている。これらのまわりを流れる空気にすら愛しさを覚える。

私が思い出すまでは、全ては私の中で無に近い存在だったのに、思い出すという動作によって、無だったことを知る、つまり「無がある」状態になるのか。それはもう無ではなく、「それまでは無であった」という事実として存在する。

最近、人とものと時間の流れにすごい考える時間を費やしている。

今大切に思っている人やものも、いつの日か知らぬ間に離れていって、いつの日か私が思い出すまでは、わたしの中の虚無の箱に並べられていくのか。
愛しいと思っているものを惜しくなくなってしまうのがこわい。

変化とな。

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