見出し画像

自分のために残しておきたい闇

この春、年上の後輩ができました。
しかも2人。
ともにシェアオフィス・コワーキングスペース運営の経験者です。
後輩とは言え、人生の先輩であり、業界の先輩たちです。

やりたいことをもって、入社して来られました。入社してからもきっと「こうしたらもっと良くなる」と考えを巡らせてくれていたのでしょう。

先日「〇〇やってみたいんです」とメンバーの前で静かに、でも確かに伝えてくれました。彼女が伝えてくれたやりたいことは、私が入社していた頃に描いていたもの、利用者目線で必要なこと、わくわくを感じられるものでした。

私はそのとき泣きそうになるのを堪えました。結局は堪えきれずに泣き出しましたが。

半年間ともに頑張ってきた相棒のようなひとりの後輩が、その涙を「歓喜」と受け取りました。今までやりたいことを考える余裕も、試行する余裕もなく、波に揉まれてきたから。ようやく当初思い描いていた場所に辿り着き、始められるのだと。

勿論私の中に「歓喜」という感情はありました。
けれどそれ以上の複雑な感情が、私を襲っていました。

「妬み」
自分が入社してすぐにできなかったのに、どうして彼女たちはそれができるのだろうか。堂々と話す姿がやけに私の神経を逆撫でました。

「自分への嫌悪」
そんなふうに妬む自分が嫌になる。彼女はここのために、みんなのために発言してくれているのに、どうして自分はこんな醜い感情を抱えてしまうのだろうか。
当時余裕も何もなかったなんて言い訳じゃないのか。やれなかったのではなく、やらなかったのでは。どうにかこうにかすれば何かしらできたのではないか。
必死で伝えてくれる彼女の言葉。マスクの下で無一文字に固く閉ざされた唇。全く笑えていない自分に気づいて、自分への嫌悪感が募っていきました。

「自分に求められているものと、当初やりたかったことへの乖離への苦しみ」
やりたかったことが遂にできる。けれどそれを引っ張っていくのは、引っ張ることを求められているのは私ではなく、新しいメンバー。入社した頃思い描いていた自分の姿と、今の姿は全く違うものになってしまいました。
過去任せられる人がおらず、引き受け先が私しかなかったタスクは、いつのまにか私の所有物として周囲に認識してされ、それを常に遂行することが私に求められることとなった。
ただただ歴が1番長いというだけで、期待されることもしばしば。
本当に「今」やりたいことが何なのかわからなくなりました。

そして「悲しみ」
どうしてこんな複雑な感情を抱くようになってしまったのか。自分を憐れむようなそんな感情さえ湧き上がってきたのです。

どうにか折り合いをつけようと必死になっている状態が続いています。日々のタスクに追われ、また新たな課題が生まれていく中で、消化しきるにはヘビーなものがあります。

とりあえず言語化できただけでも一歩前身、ということにして、今回は締めます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?