カトリックにおけるコミュニオンの意義とは?
今回はキリスト教の基本理念であり、カトリックにおけるコミュニオンについて解説していこうと思います。
筆者は当時この言葉を目にしたときに「コミュニティとユニオンの混合言語かな?」という誤解をしていたので、参考になればと思います。
また、後に本文で触れます聖餐の儀式というのは、プロテスタントや東方正教会などの派閥ごとに違うため、混乱を避けるため今回はカトリックのみを取り上げます。
1・コミュニオンとは
コミュニオン(communion)とは、2つの意味があり、
①キリスト教内の信者同士の生活のこと
②聖餐(せいさん)のこと
の二種類あります。
①に関しては何となく意味は伝わりますが、聖餐とは何でしょうか。
2・聖餐とは
聖餐にも2つの意味が存在し、
(1)イエス・キリストの最後の晩餐、それ自体の事を指す
(2) (1)の行為を宗教的儀式として信者が行うこと
の二種類です。
今回は(2)の意味合いでコミュニオンのお話をします。
ここまでのまとめ
コミュニオンとは聖餐というキリスト教信者が、イエス・キリストの最後の晩餐を根拠に行う大切な儀式・組織体制のこと
3・宗教的意義
では、このコミュニオン、一体何のために行うものなのでしょうか。
それには実体変化の理論というカトリック内でのお話が出てきます。
聖餐において、必ず食べるものがあります。それはパンとワインです。
これはキリスト教においては、パンはイエスの肉、ワインはイエスの血を意味しています。元ネタは新約聖書の中でイエスが手に取ったパンを、これは私の体である、と言ったものです。
これをカトリックは「パンはキリストになり『パンという実体』が無くなった」と解釈したようで、パン(物質)とキリスト(非物質・精神)といったように、文字通り実体が変化していることの証明である、と捉えているのだそうです。
では、この理論のどこが重要なのか。
それはパンやワインを食すことは、単に崇拝しているイエスの追体験をするだけでなく、イエスの一部を信者の中に入れることで、イエス=精神の一部になれる、ということです。
そうすることで、少なくともカトリックは天国に行ける、とか私は救済された、と解釈出来るのだと思われます。そのための共同体_これがコミュニオン、というわけであります。
4・感想
宗教というのは、信仰をしていない人からすれば「何変なことやってるんだこの人たち…」となるのは安易に想像できますが、その理由や儀式の歴史・論拠を辿ると「彼らなりに理論を構築して真面目に宗教を行っているんだなぁ」と、知る前よりは、遥かに理解は出来るのではないでしょうか。
この記事が、そのきっかけになってくれれば幸いです。
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