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伊豆山神社

御成敗式目

先日(令和3年4月4日)、伊豆山神社に参拝してきました。

今は、廃れてしまっておりますが、明治維新までは全国の武士からは、崇拝を受けてきた神社です。

源頼朝は、幕府の最高の崇敬を示す「関八州鎮護」として、多くの社領を寄進しました。

日本最初の武家法といわれる御成敗式目(貞永元年: 1232年)の起請文には、箱根神社と共に神社の筆頭に挙げられていました。

若雖一事、存曲折令違犯者、梵天帝釋四大天王惣日本國中六十餘州大小神祇、殊伊豆筥根兩所權現三嶋大明神八幡大菩薩天滿大自在天神部類眷屬、神罰冥罰各可罷蒙者也、仍起請如件
    貞永元年七月十日

(もし一事たりと雖も曲折を存じ違犯せしめば、梵天帝釈、四大天王、惣じて日本国中六十余州の大小神祇、殊に伊豆箱根両所権現、三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神、部類眷属、神罰冥罰、各罷り蒙るべきものなり。よつて起請件の如し。)

御成敗式目は、鎌倉幕府滅亡後においても法令としては有効で、室町幕府で発布された法令も、戦国大名が制定した分国法も、追加法令という位置付けだったようです。江戸時代においても、法令としての有効性に変わりなく、明治以降の近代法が制定されるまで続いたとのことです。

いわば、武家社会において635年間もの間、伊豆大権現として信奉されてきたのです。

鳥居です。

昭和天皇が植えられた松は枯れてしまい、今は2代目です。

役行者

源頼朝と北条政子が腰掛けたといわれる岩。源頼朝は平治の乱の後伊豆国に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願し、伊豆山神社を小豪族の娘であった北条政子との逢瀬の場にしていたそうです。

https://izusanjinjya.jp/

日金山(十国峠)

伊豆山神社から一時間弱ほど登ると本宮に着きます。(今回は、登りませんでしたが、数年前、私は30分で着きました。)

(図は、伊豆山神社ホームページより)

https://www.travel.co.jp/guide/article/23579/

もともと伊豆大権現とは、伊豆山神社からつらなる日金山の聖域を指していたのだと推定されます。

実際、日金山東光寺は、伊豆山神社の元宮といわれております。

https://www.yoritomo-japan.com/izusan-tokoji.htm より

そこから少し登ると、パワースポットでも有名な十国峠です。

日金山というと知名度はありませんが、十国峠といえば、御存知の方も多いのではないでしょうか?日金山の山頂一体が十国峠なのです。

この清々しさこそ、日金山の清らかさですし、伊豆山神社の御神体なのです。

私は、2年前に日金山を登りましたが、最高の癒しでした。

評価: ☆☆☆

今は、廃れてしまっておりますが、武士道に生きるという気骨の持ち主には、素晴らしい啓示が得られるはずです。ですので、星3つです。無心となって、力を抜くことで、神の力が働く…ということを教えてくれました。

とはいえ、私達には百八つどころでは足りない煩悩を持っております。

なかなか、無心になることはできません。そんなときには、一つのことに熱中すればいいようです。煩悩があっても、何かに熱中することで、その瞬間に突如、閃くことがあるようです。その体験が増えるほど、神の力が働きやすくなるようです。

私達は、肉体という物質を纏っている以上、四六時中無心になることは不可能です。ですから、ここぞという大事なときに、無心になるのです。一時でもいいから、熱中して、時間を忘れる。その状態のときに、神が宿る瞬間があるのです。

武士は、このオンとオフを使い分けて、戦乱の世を生き抜いたのではないでしょうか? 

そして、不思議な力が働いて戦乱の世を生き残ることで、益々、神仏を敬うようになったのだと思います。

その中心に、伊豆大権現があったのです。

伊豆山神社
御祭神 伊豆山神
    火牟須比命 (ほむすびのみこと) 
    天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
    栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)    邇邇芸命(ににぎのみこと)
創建 孝昭天皇治世(紀元前5世紀~前4世紀)


閻魔堂

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