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坂東巡礼記11 長谷寺(札所15番)

白岩山 長谷寺

札所16番 水澤寺に参拝後は、南下して札所15番 長谷寺(ちょうこくじ)へ逆打ちしました。

先に水澤寺を参拝した理由は、前日に伊香保温泉に寄りたかったこと、長谷寺は納経開始時間が8時30分と遅かったこと(水澤寺は8時)、から水澤寺を先に参拝して8時に納経を戴いて、長谷寺に向かいました。

車で約30分弱でしたが、この巡礼街道の景色はとても綺麗でした。

景色に気をとられてしまい、思わず通過してしまったほどです。笑

というか、それだけ長谷寺は小さな寺院でした。

明治維新の廃仏毀釈により、本尊を奪われ、仁王門は山林に置かれたりされるなど、かなり衰退してしまったようです。

長谷寺は、群馬県高崎市白岩にある金峰山修験本宗の寺院で、山号は白岩山、本尊は十一面観音です。

Wikipediaの解説は以下の通り

この寺の創建年代等については不詳であり、聖武天皇の勅願により徳道によって創建されたとも、行基が十一面観音を刻んだとも伝えられる。最澄や空海がこの寺を訪れたとも伝えられる。その後、源氏(鎌倉将軍家)をはじめ新田氏・上杉氏などの信仰を得た。戦国時代の1566年(永禄9年)には武田信玄が箕輪城を攻めたときに類焼したが、1580年(天正8年)世無道によって再興された。古くから修験道の寺であったが、明治に入り一時天台宗に属することとなり、戦後現在の宗派となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA_(%E9%AB%98%E5%B4%8E%E5%B8%82)

仁王門です。手作り感、満載です。

すぐ奥に観音堂が見えます。

天正8年(1580年)建立の観音堂は、残念ながら倒壊し、新しく建て替えられております。

新しい観音堂は、令和3年秋に完成予定だそうです。

境内にはこれだけしか見処がありません。坂東三十三観音の風格は、全くありません😢。

正直に言うと、間違えてしまったのだと思ってしまいました。

白岩観音

白岩観音 長谷寺のYouTube動画は少なく、11年前のものですが、この動画をみて雰囲気をつかんでください。

天正八年建立の観音堂がありますし、今よりも風情がありました。

長谷信仰

さて、これだけだと、流石に評価は☆(星1つ)、いや★(星半分)かなぁ…と思いました。

観音様も拝めず、本堂も建築中で、見処が全くないんです😭。

唯一、良かったのは、車窓からの風景くらいでした。笑

落胆しつつも、早く次へ行こうと気持ちを切り替えて、納経所へ。

納経していただいている間に、ふとまわりをみると、今生天皇(徳仁親王)が大学院生時代に訪れている写真が沢山飾られておりました。

住職の話によると、先代住職の時に、徳仁親王が学位論文の調査に、ここ長谷寺を訪れて、住職からいろいろと教えを受けたようです。

徳仁親王は、『長谷信仰』について調べていたようです。

私は、この時初めて、『長谷信仰』なる言葉を聞きました。

長谷信仰は、特に定義はありませんが、長谷寺を信仰する人々をいうようですが、『長谷寺』という名前のつく寺院は、『はせでら』と呼ばれても、『ちょうこくじ』と呼ばれても、共通して、十一面観世音を本尊とするようです。

ある意味、十一面観音信仰と呼べるかもしれません。

十一面観音について、Wikipediaの解説は以下の通り。

十一面観音は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身の1つであり、六観音の1つでもある。頭部に11の顔を持つ菩薩である。梵名は「11の顔」、「11の顔を持つもの」の意。密教系の尊格であるが、雑密の伝来とともに奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益を祈願して十一面観音像が多く祀られた。観音菩薩の中では聖観音に次いで造像は多く、救済の観点からも千手観音と並んで観世音菩薩の変化身の中では人気が高かった。

伝承では、奈良時代の修験道僧である泰澄は、幼少より十一面観音を念じて苦修練行に励み、霊場として名高い白山を開山、十一面観音を本地とする妙理権現を感得した。平安時代以降、真言宗・天台宗の両教を修めた宗叡は、この妙理権現を比叡山延暦寺に遷座し、客人権現として山王七社の1つに数えられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%80%E9%9D%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3

現代に親しまれている観音巡礼は、大和国の長谷寺から始まったこと(現在は札所8番)、観音参りは神仏習合のもとで(仏教の神道化によって)初めて可能となったことから、観音参りの原点は長谷信仰と関わりがあるのかもしれません。 

もしかしたら、坂東巡礼も長谷寺(現在は札所4番)から始まり、一旦、鎌倉に戻ってから、再びここ長谷寺(現在は札所15番)から再開したのではないでしょうか?

『長谷』という響きは、『はつ(初)』や『生え(栄え)』の意味であって、誕生、創生、繁栄、復活を表していたのかもしれません。

そして、後に神道を司る天皇となる徳仁親王が、仏教に纏わる長谷信仰を研究していたことに、神仏習合が日本人の精神を育んできたと考えている私の仮説に反せず、嬉しくなってしまいました😆。

そう考えてあえて長谷寺のまわりには、神仏習合の面影が残っておりました。

徳仁親王が天皇になられた令和時代にこそ、観音参りが必要なのではないでしょうか。

評価 ☆☆(星2つ)

参拝直後の評価は、星2つ(☆☆)でした。歴史的な建造物は残っておりませんが、今生天皇が学位論文の際に調査しにきたことにより、長谷信仰なるものを知れたことから、星2つ(☆☆)となりました。

ですから、観光スポットとしては、全くお勧めできませんが、長谷信仰や神道や仏教(密教)の秘密に想いを馳せるには格好のスポットだと思います。

宗派 金峯山修験本宗
本尊 十一面観世音菩薩 
開基 役ノ行者 
創立 文武天皇朱鳥年中
住所 群馬県高崎市白岩町448
駐車場 あり(無料)
電話 027-343-0349


閻魔堂

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