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【バンライフ】軽トラを走行中、荷台が爆発

今の気持ちを忘れないために書きます。

2022年2月25日
兵庫県の道を走行中軽トラが原因不明の爆発をした。

はじめは、後ろの車が衝突したのではないかと思った。
しかし、後ろを振り向いたら、荷台が燃え上がっていた。
すぐに、車を端に寄せ、サイドブレーキを引き、車から脱出した。

脱出後、携帯が車にあると頭によぎった次の瞬間、
もう一度大きな爆発が起こった。

急な出来事で、何が起こったのかわからず、
気が動転し、震えが止まらなかった。

周りに人はいなく、奥にいた人たちに、消防車の手配をお願いした。(声がどのようにして出ていたのかは覚えていない)

もし近くに子供、誰かいたら、どうしよう。
焦りと、不安で恐怖に押しつぶされそうだった。

携帯も、財布も何もないまま飛び出したので、
ポケットには、マスクがひとつあるだけだった。

ポツンとひとり、軽トラが燃え上がる横で、頭を抱え上げ、パニックになり腰を落とした。

人がどんどん集まり、遠くから指をさされ、何を話しているかはわからないが、恐怖、不安、全てに押しつぶされる感覚に陥った。

なによりも、急な出来事に頭の整理が追いつかない。

数分後、警察官がやってきて、消化器で、消火活動を行なったが、火は消えることなく、
その後にやってきた、消防車により火は完全に消された。

街中だったので、救助が来るまでの時間は、早かったはずだが、僕は、燃え上がる軽トラを前に震え上がり、その時体感したドッシリと重く長い時間は、言葉に表せるモノではなかった。 

警察や、消防隊の人に怪我の心配、事情や、身分を聞かれ、震えながら言葉を発し続けた。
(正直言葉になっていたのかは、わからない。)

消防隊の方に、周りに怪我人がいなかった事を聞いたあとは、安堵で腰が落ちた。

消防隊の人に助けられて、消防車の中で当時の状況を説明。現実を受け入れきれず夢を見ているのではないかと思った。

消防隊の優しい言葉と目を見た時、
我慢していた感情が溢れ出した。


僕は、軽トラで暮らし、旅をしていたので、この軽トラに全て入っていた。
一緒に生活、旅をしている相方のゆいのの想い出が詰まったモノも沢山ある。

今起こった事は、現実で、目の前で自分の大切な想いでが詰まった、自分だけではなく、一緒に旅をしているゆいの、僕たちの旅に関わってる全ての人の想い出を乗せ、共に旅をしてきた軽トラが燃え上がった。

旅の記録や学びを残したノート、
旅先での写真や動画の入ってる、携帯パソコン
ゆいのが毎日描いてる絵の入ったiPad
世界を共に旅をした、寝袋やキャンプ道具
最近買ったばかりの登山道具一式
旅先で、いただいた、服やチェキの写真
ギターに、ウクレレ、本、生活に必要なもの、、、

全てここに置いてあったのに。

大切な想い出のモノ、僕たちと共に旅をしてくれた軽トラが。

涙がとまらない。



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(9時間前)
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今日もいつも通り、軽トラで目を覚ました。
荷台の中で布団や寝袋をたたみ、
寝る前に、前の座席へ移動させてあった荷物達を荷台へと運ぶ。
これが毎朝のルーティン。
(荷物は、お米、食料、キャンプ用具、登山用具、本、衣服、スケボー、テニスラケット、ギター、、、など)

この日ゆいのは、おばあちゃんに会いに行くために朝にお別れをした。
僕は、ゆいのを駅まで送り、近くにあるカフェ(星乃珈琲店)で作業をする事にした。

時刻は、9時頃。
ゆいのとの再会は、17時なので、時間はたっぷりある。
この間に、今日TikTokに投稿するための動画を作成する。
TikTokといっても、ダンスとかの動画ではなく、僕たちは、自分たちの旅の様子を物語にしてアップしている。

TikTokをはじめて4ヶ月、
応援してくれる人も増えていき、
動画編集も慣れ始めてきた。
自分たちが投稿したい内容に苦悩しながらも、最近、方向性が固まった。

自分たちは、「旅での出会い」「小さな平和」が届く動画を作成しよう。

(鹿児島での平和な時間↓)
https://vt.tiktok.com/ZSeTQw7QV/


現在、ロシアがウクライナに侵攻をする世界で、自分たちに出来ることは、目の前にある小さな平和を共有すること。

そう想い、僕たちは、1ヶ月間お世話になった鳥取県での出会いの物語を、動画にまとめていた。

僕たちの旅は、昨年の8月から始まった。
兵庫県からスタートし、屋久島まで西日本を中心に転々と旅をしてきた。
目的は、日本の拠点地探し。
ゆいの自身は、小屋造りを夢見ていて、
自分自身も帰る場所、テーマパークのような拠点地を創りたい。
そんな想いから、"拠点地となる土地探しの旅"として日本を旅した。

https://vt.tiktok.com/ZSeTQgxWo/
(↑軽トラ旅の様子)

1月からは、転々とするのではなく、旅した中で気に入った県で移住体験をしようと決めていた。
生活する事で、旅では見えないモノも見えてくるはずだと。
その最初の移住体験をした県が、鳥取県。


鳥取県では、本当に多くの方にお世話になり、その物語を共有するために、3日間編集をしていた。

編集を終えて、あと少しで完成。

僕は、最終編集と意気込み、昼食も食べるのを忘れ、6時間ぶっ通しに編集をして終わらせた。

ゆいのとの待ち合わせまで、残り、1時間ほどとなり、店を出た。

ゆいのに早く動画を共有したい。

待ち合わせ場所までは車で1時間かからないところにある。

車を走らせ、山道を越えて、あと5分で待ち合わせ場所に着く。

そして、軽トラは爆発をした。

はじめは、後ろの車が衝突したのではないかと思い、後ろを振り向いたら、荷台が燃え上がっていた。
すぐに、車を端に寄せ、サイドブレーキを引き、車から脱出した。

脱出後、携帯が車にあると頭によぎった次の瞬間、もう一度大きな爆発が起こった。

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17:40

ゆいのとの、待ち合わせからは、40分が過ぎていた。
連絡を取りたくても、連絡手段がない。

消防隊、警察の方と、この後の流れを話した。

この後は、警察署へ行き、出火原因を調べ、事件性があるのかないのか諸々調べるとの事。

警察署まで、レッカーを使い軽トラを運ぶのだが、
レッカー代は負担になるが大丈夫かと聞かれる。

お金のことなど考えてる余裕もなかったが、
流れるままに、行動をした。

警察の方に、待ち合わせをしていたゆいのを探しに行きたいと言い、一緒に待ち合わせの駅に連れていってもらった。

待ち合わせから40分も経っているので、どこにいるのか検討はつかないが、パン屋、カフェ、本屋と探した。

探している中、ゆいのが大泣きすると思い、心配になった。
どう説明すれば良いのだろうか。
大切な想い出が消えて、ショックを受けるだろうな。。

どこを探してもゆいのは見つからなかった。
結局、警察の方が、携帯を貸してくれ、そこから自分のインスタにログインをして、ゆいのに連絡をとった。

ゆいのは、直ぐ近くにいて、連絡から5分もしない内に、姿を見せた。

会ってすぐに、心配そうな目でゆいのは、見つめてきた。
ゆいのの顔を見た瞬間から、涙があふれそうだった。
感情を押し殺しながら、ゆいのに何が起こったのか説明した。


「軽トラが爆発した。」


ゆいのは、まず怪我がないかを確認してくれ、

「生きてて、よかった、」
「思い出は、心に詰まってるから私は大丈夫!」と。

安心と悲しさ、いろんな感情が混ざった涙が流れた。


18:30

僕とゆいのは、レッカーで運ばれてくる軽トラを待っていた。

その間僕は、軽トラの荷台に何があり、
どう配置してあったのかを細かく何度も説明した。

消防隊、警察、同じ話を、何度も何度もした。
話をしていく中で、これは本当に夢なんだとも思い、冷静に話をすることができた。


19:00

レッカーされた軽トラも到着し、
10数名の消防隊の方々、2.3人の警察官の方と、共に、軽トラの爆発原因を調べる。

ホワイトボードに、軽トラ荷台の配置図が書かれており、消去法で、ここは違うと、火のスペシャリスト達が出火原因を排除していった。

僕は、焦げた想い出たちに対して、これは〇〇ですという形で、報告をしていく。

マル焦げになった大好きな軽トラを前に、
なんども心が折れそうになった。

途中、ゆいのの家族と合流したときは、
我慢していたモノがまた溢れ出した。




21:00

捜査が終了。
事件性はないものの、出火原因を特定することは、出来なかった。
バッテリー、電気毛布、ボンベ、ガス、ホワイトガソリン(キャンプ用)などが軽トラにあったので、
色々とタイミングが重なり合ってしまい、
なんらかの形で出火してしまった可能性があるとのことだった。



帰る前に、消防隊の方が、今後の流れを説明してくれた。
(落ち込んでいる暇なんてなさそうだ。)

軽トラを停めたすぐ近くに、ローソンがあり、道路規制を行ったことで、ローソンの営業が一時停止してしまったので、そこへの賠償金、
道路修復の場合の賠償金など、、

(もしも、軽トラが燃え上がったまま、建物に突っ込んだり、人を巻き込んでいたら、本当に悲惨なことになっていた。)


現状、財布も、現金も、カード類、証明書類、携帯、パソコン、着替え、コンタクトも全て無くなってしまったので、一旦東京に戻り、手続きをする必要がある。


この日は、ゆいの家族の家に泊まることに。




次の日

部屋の中に太陽が差し込み、目を覚ました。
昨日のことが現実だった理解するのに少し時間がかかった。


深呼吸をして、やっと、自分が生きていた事を実感した。


死ななくてよかった。


死んだら、まわりに想像がつかないくらいの迷惑をかけていただろう。

生きている事に心から感謝した。

ゆいのと、"おはよう"を交わし、

「全て、無くなったね」
「でも全て残ってる!!」と笑顔が浮かび出た。


携帯を取りに行かないでよかった。
ゆいのが車にいなくて良かった。
まわりに人がいなくてよかった。
本当に大切なものを失わないでよかった。


大切なものは、目の前にある。

鳥の音を聴く耳があり、
人の顔を視るための目もあり、
大切な人とコミュニケーションできる口もあり、
大自然を感じることの出来る魂も、身体もある。

あるモノ全てに感謝。

過去の思い出のモノは、消えてしまったが、
ゆいのが言っていたように、心にも脳にも刻まれている。


未来の思い出は、これからも創っていける。


なんだか、人生がリセットされた感覚。


共に旅をしてきた、エイミーちゃん(軽トラの名前)が、無傷で僕を守り、伝えてくれたことなのかもしれない。

(軽トラに名前がついた日↓)
https://vt.tiktok.com/ZSeTCWuuk/


本当に毎日、愛着が湧いていき、
エイミーちゃんは、僕たちの家族で愛おしかった。

ここまで一緒に旅をしてくれて、本当にありがとう。

最後の最後まで、守ってくれてありがとう。

エイミーちゃん、大好きだよ。


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