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Ducati 916 〜現在におけるドゥカティのイメージを築いた「世界で最も美しいバイク」〜

◇はじめに

「世界で最も美しいバイク」。

1994年にデビューしてから、現在に至るまでこう語り継がれてきたのが、ドゥカティの916です。

現在の『パニガーレ』シリーズへとつながる、祖となったモデルでもあります。

今回は、1990年代のドゥカティを代表する1台にフォーカスしてみましょう。


◇そもそもDUCATIって?

916そのものの解説に入る前に、まずはドゥカティというメーカーに関して軽く触れておきましょう。

ドゥカティは、イタリア北部のボローニャに拠点を置くバイクメーカーです。

創立は1926年で、当初は『ドゥカティ・ラジオ無線特許科学会社』という社名でスタートしました。

「ラジオ無線」という単語のとおり、元々はラジオ関連製品を造っていたのです。

しかし1939年に第二次世界大戦が開戦すると、イタリアはイギリスなどを中心とする連合国軍の激しい攻撃にさらされ、ボローニャにあったドゥカティの社屋や製造工場も容赦なく破壊されました。

会社存続に暗雲が立ちこめたドゥカティでしたが、1945年の終戦後、イタリア国内ではすぐに復興が始まり、復興政策のひとつであった国営の産業復興公社による支援もあって、ドゥカティは壊滅的状況からなんとか復活を遂げます。

戦後はカメラなどの生産を行いつつ、一方で当時イタリア国内で大人気だったシエタ社製の原動機付き自転車『クッチョロ』のエンジンの製造も手がけるように。

ドゥカティがオートバイの分野に足を踏み入れた瞬間でした。

ドゥカティが製造するエンジンは優秀で評価も高く、クッチョロの販売台数もうなぎのぼりに増えていきました。

クッチョロの評価と売れ行きに自信を得たドゥカティは、ついにエンジンだけでなくクッチョロを模したバイクをまるっと1台自社で造り上げてしまいます。

そしてその完全自社製の完成車を世間へアピールするため、本格的にモータースポーツ活動を開始。

イタリア国内外のレースに参戦を始めると、ドゥカティのマシンは破竹の勢いで勝利を重ねました。

ドゥカティはレースを通じてバイク開発の実績とノウハウを急速に蓄積していき、1950年代初めにはすでに本格的なオートバイメーカーへと発展します。

以降、ドゥカティは“レースで勝つために”まずバイクを造り、その過程で培った技術力や経験を市販モデルの開発に落とし込むという、いわばレーシングマシンに端を発する開発手法を確立。

このやり方で生み出されるドゥカティのバイクはいつしか「スポーティ」「スパルタン」「玄人向け」などといった表現とともに語られるようになりました。

そして今回の主題である916も、そんなドゥカティ流の手法で誕生したバイク。

後でも述べますが、そもそもが“レースで勝つために”生み出された1台なのです。


◇レースでの王座奪還を目指して

さて、ここから本題。

916誕生の背景には、先代モデルである851の存在があります。

1988年、市販車ベースのレーシングマシンで競う『スーパーバイク世界選手権(WSBK)』の初開催が決まると、ドゥカティは『851』を急ピッチで開発し開催初年度からWSBKへ投入します。

ドゥカティ初の水冷4バルブエンジンを搭載した851は、当時のドゥカティのフラッグシップモデルらしい秀でたスポーツ性をもっており、1990年にはレイモン・ロッシュが、91年と92年にはダグ・ポーレンがそれぞれ851とともに年間チャンピオンに輝き、またドゥカティも3年連続でマニファクチャラーズタイトルを獲得したのでした。

世界の舞台で一躍、絶対王者となったドゥカティ。

1993年には851の改良型となる『888』を投入し、4年連続のチャンピオン獲得に向け盤石の体制が敷かれたのですが…、なんとこの年、カワサキのZXR750Rを駆るスコット・ラッセルに年間チャンピオンの座を奪われてしまいます。

まさかの王座陥落。

ドゥカティは再びチャンピオンへ返り咲くため、全く新しいマシンの開発に乗り出しました。

そうして生み出されたのが、916なのです。

水冷Lツインエンジンをトレリスフレームで支えるという基本構成は851の世代と変わらないのですが、センターアップマフラーや片持ち式スイングアーム等、新たな試みも多数盛りこまれました。

今ではすっかり世間一般に浸透している“ドゥカティらしい特徴”が配された最初のモデルといえます。

そんな916の設計を主に担当したのが、現在も鬼才として崇められている二輪デザイナーのマッシモ・タンブリーニ氏。

古くからのドゥカティファンであれば、彼の名を知る人も多いかと思います。

タンブリーニ氏の指揮のもと、WSBKでの王座奪還に向け運動性能が徹底的に追求された916。

その優美な外観デザインばかりがフォーカスされがちな916ですが、実は走りの面にも相当心血が注がれたのですね。

このように、タンブリーニ氏渾身の1台としてデビューを果たした916ですが、その努力の甲斐もあってデビューイヤーとなる1994年のWSBKでなんとカール・フォガティとともに年間チャンピオンを獲得しました。

王座奪還に成功したのです。

翌95年もフォガティがチャンピオンの座を手中に収め、さらにフォガティと同じチームに属するトロイ・コーサーも年間ランキング2位となり、加えてランキング10位以内に916が5台も入るなど、圧倒的な戦闘力を世間に見せつけました。

その後も916はフォガティやコーサーの手により96年、98年、99年とチャンピオンマシンに輝きます。

916は90年代後半のWSBKにおける常勝マシンとなり、851の栄光を取り戻すという当初の目標以上の功績を残したのでした。

そしてこのレースでの活躍は市販車の強力な宣伝にもなり、916は世界中で飛ぶように売れました。

その売れ行きは、停滞気味だったドゥカティの業績を一瞬で上向かせるほどで、会社にとっても救世主となったのです。

「ドゥカティのスーパーバイクは速い」というイメージを確固たるものとした916。

この後、外観はほとんど変わらないままエンジン等中身に変更が加えられ、996、998へとモデルチェンジしていきます。


◇伝説のF1ドライバーも惚れこんだ

916といえば、セナモデルも有名。

「セナ」とはもちろん、今は亡き伝説のF1ドライバーであるアイルトン・セナのことです。

実はセナ、プライベートでは大のドゥカティファンでした。

そのドゥカティ愛が高じて、セナは916をベースとしたオーダーメイド車両をドゥカティに発注。

それをモチーフにして生み出されたのが、セナモデルというわけです。

ガンメタリックで仕上げられた外装に、赤いホイールが特徴でした。

ちなみにこのガンメタリック外装と赤ホイールの組み合わせは後のさまざまなモデルの純正車体色にも採用されており、最近だとツアラーモデルの『スーパースポーツ』等にこのカラーリングが用意されていました。


◇入手困難だけど、そのハードルを超える価値はある

さて、996、998も含めた916シリーズの現状を見てみましょう。

結論を言うと、916シリーズを手に入れるのは今ではもうかなり難しいでしょう。

全国的に見ても、流通量がかなり少ないです。

それでも欲しい人は、正規ディーラーやドゥカティに強いショップに頼んで探してもらうか、オークションサイト等を活用して自力で根気よく探すかということになると思います。

ただ、愛車となればなったで、所有満足度はそれなりに高いと思います。

916シリーズ独特の乗り手を選ぶフィーリングは、現在のパニガーレなどとはまた違った味わいで、バイクマニアの心をくすぐることでしょう。


◇「美しく、速い」ドゥカティは、この916から始まった

ドゥカティのバイクを表現するとき「美しい」と「鋭い(=速い)」という形容詞は必ずといっていいほど使われますが、そういう評価がされ始めたのも、思い返せば916からです。

「美しくて、速い」ドゥカティの歴史は、この916に端を発するといって差し支えないでしょう。

916が打ち立てたドゥカティの“らしさ”は、パニガーレV4をはじめ、現在のドゥカティにもしっかりと受け継がれています。

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