見出し画像

「源氏物語絵巻」の引目鉤鼻には瞳があった!


はじめに

縦書き・横スクロールで無限の空間が用意できるウェブサイトならば、本来の絵巻物の見方が可能ではないか。そう考え、「横スクロールで楽しむ絵巻物」というウェブサイトを制作しました。このノートでは、本来の見方で絵巻物を眺め、発見した魅力を書いていきます。

国宝 源氏物語絵巻

国宝 源氏物語絵巻

言わずと知られた、日本で最も有名な絵巻の一つです。「伴大納言絵詞」「信貴山縁起絵巻」と並び、三大絵巻とも、さらに「鳥獣人物戯画絵巻」を合わせて四大絵巻とも言われています。

皆さんは「源氏物語絵巻」と聞いて、どのようなことを思い浮かべるでしょうか?屏風や几帳に囲まれた部屋で、細い目と微笑みをたたえ、少し首を傾げた「光る君」や姫君たちが夢見がちに佇んでいる・・。描かれている人物は皆同じに見え、原作を読んだことがなければ内容も分からない。そんな、漠然とした印象を持たれるかもしれません。

源氏物語が書かれてから約1世紀後の12世紀前半に源氏物語絵巻は成立しました。源氏物語十七帖「絵合」に絵巻鑑賞を競うエピソードがあるように、源氏物語絵巻成立以前から、さかんに絵巻の制作は行われていたようですが、いまは失われて残っていません。源氏物語絵巻は現存する最古の絵巻で、その後の絵巻に引き継がれる、引目鉤鼻や吹抜屋台といった技法が使われています。絵巻物のルーツを探る上で、欠くことのできない作品なのです。

引目鉤鼻とは何か?

引目鉤鼻(ひきめかぎばな)。四字熟語にすると、何やら難しい概念のように思えますが、ようは人物の目を横一線の切目で表し、鼻は小さく「く」の字で表す、パターン化された人物の表現のことです(鉤鼻は現代のマンガの美男美女にも通底する気がします)。源氏物語絵巻の人物は、ほとんどが引目鉤鼻で描かれいて、それが、没個性的な作品の印象に繋がっています。

意外なことに、源氏物語絵巻には、引目鉤鼻ではない人物も登場します。たとえば、「蓬生」に描かれる惟光。目は引目のようですが、鼻筋から口にかけては、線をはっきりと描き出していて、鉤鼻とはいえません。また「東屋二」に登場する弁の尼も、同様に鼻筋がしっかりと描かれています。同室の女房と比べると、違いは明らかです。これらのことから、『王朝絵画の誕生』の作者、秋山光和氏は「引目鉤鼻の表現は、貴族の男女を表すための約束事だった」と指摘しています。

鼻筋が通った惟光の横顔(『王朝絵画の誕生』より)

惟光と同様の表現で描かれた
(『王朝絵画の誕生』より)

源氏物語絵巻の引目鉤鼻には瞳があった!

『王朝絵画の誕生』には、光学的手法で源氏物語絵巻を分析した成果がいろいろと書かれています。1968年に出版された古い本ですが、この本を片手に絵巻を眺めると、制作者が心を砕いて登場人物の内面を描き出そうとしていることが見えてきます。そのなかでも、源氏物語絵巻の引目鉤鼻には瞳があったという指摘は、文字通り目から鱗でした。

様々な引目鉤鼻の女性たち。中の君と雲井の雁には瞳がある!(『王朝絵画の誕生』)
引目鉤鼻に瞳がある雲井の雁(『王朝絵画の誕生』)
引目鉤鼻に瞳がある中の君(『王朝絵画の誕生』)

「夕霧」の雲井の雁は、夫である夕霧が読んでいる手紙を浮気相手からのものと思いこんだ雲井の雁が、背後から忍び寄って手紙を奪い取ろうとする場面です。また、「宿木三」の中の君は、彼女を妊娠させておきながら、夕霧の娘に夢中になり通ってこなくなった匂の宮が、彼女の心を紛らわせようと琵琶を奏でるゲスな場面です。

どちらも、女性が男性の不義に対し、嫉妬や怒りの複雑な感情を表現する修羅場の場面で、引目の目を吊り上げ、瞳を表すアクセントが入れられています。逆に、「東屋一」の浮舟などは、巻物や冊子を眺める嬉し気な様子が、線を重ねあわせることで表現されています。

いっけん、どれも同じように見える引目鉤鼻ですが、源氏物語絵巻では繊細かつ細やかな描写で、登場人物たちの心理描写が表現されていました。しかし、引目鉤鼻は、その「魂」までは継承されず、のちの時代はパターン化した人物の描写になっていきます。

引目鉤鼻の対照(『だれが源氏物語絵巻を描いたのか』)

『豪華・源氏絵の世界「源氏物語」』には、室町から江戸時代までの「源氏絵」に描かれた引目鉤鼻が収録されています。単純な表現のようでありながら、時代や絵師ごとに様々なバリエーションがあることが分かり、とても面白いです。

おわりに

源氏物語絵巻の表現は、「伴大納言絵巻」や「信貴山縁起絵巻」に比べると躍動感や人物の個性に乏しく、一見つまらなく思えます。しかし源氏物語成立後もっとも近い時代に描かれたこの絵巻の制作者たちは、源氏物語や平安王朝の世界観を共有し、静かな表現のなかに細やかな人物の感情、色彩や装飾への気配りを込めていました

『だれが源氏物語絵巻を描いたのか』という本には、制作者集団に女性が混じっていただけでなく、むしろ女性が主導して描いたのではないかということが、絵を描くことの性差に着目して指摘されており、とても興味深いです。藤原道長を頂点とする平安盛期の女房文化の余韻が漂う時期に、絵巻を鑑賞者としても愉しんでいた女性たちによって制作されたのではないか、そしてのちの時代では失われてしまった平安王朝期に蓄積された表現の宝庫なのではないか、そんな風に想像は膨らんでいきます。

国宝 源氏物語絵巻。見れば見るほど味わい深くなる作品です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?