嫉妬と霊的愛情について
嫉妬が湧く時とは
自分と他人の違いが気になることはありませんか?
人はそれぞれ容姿や性別や才能、育った環境、待遇や評価、得意不得意なこと等様々な違いがあります。この違いは時に嫉妬や妬み、優越感、自己肯定感の低下、孤独等ネガティブな感情に発展することがあります。
嫉妬の感情は、どう付き合いどう対処したらよいのでしょうか。
この記事では嫉妬の克服について「利他愛による愛情の補充」「祈りによる愛情の補充」「霊的な視点で相手を見る」といった観点でお話したいと思います。
無償の愛情の不足が原因
人は生きる上で自分と他人を並べて比較を行うことがよくあります。
そして相手にあって自分にないものを渇望したり、自分の所有物やポジション、評判や支持を失ったり価値が下がることを恐れてしまいます。
この不安や恐怖、失うことへの執着や自己肯定感の不足に耐えきれなくなり、何らかの手段で補充しようとします。
これらの根本には、愛情を失うことへの恐怖や自分を肯定し支えるエネルギーの渇望が存在しています。
特に物質的な傾向が強い人の場合、所有物や評価や勝ち負けにこだわってしまいます。そして自分と他人の間で条件付き愛情の獲得に始終する生き方を送ってしまいます。
こうして無償の愛情が枯渇していると条件付きの愛情や物質的な代償物、陶酔し気を紛らわせるものを求めるようになってしまいます。その手っ取り早い愛情の獲得手段として「嫉妬」を使ってしまうのだと思います。
どうしたら嫉妬を克服し愛情深く生きられるか
ではどうしたら嫉妬を克服できるのでしょう。どうやって無償の愛情に満ちた生き方や暮らしを送れるようになるのでしょうか。
物質的な観点で考えると「愛情」の補充とは、外から与えられるもの、勝ち取るもの、出会いや成功のように当たりを引くものといった、いわば報酬や取引のように扱われることが多くなってしまいます。
ここでスピリチュアリズムの観点で愛情の補充を考えると、「利他愛による愛情の補充」「祈りによる愛情の補充」の方がより自然で本来あるべき姿だと思います。(個人的解釈です)
また愛情エネルギー量の増減という観点だけでは不十分です。
どういう視点・視座で人を見るかといった観点もないと、他人を見る目が嫉妬の対象の粗探しのままになってしまいます。
そのため愛情の補充だけでなく「霊的な視点で相手を見る」ことも重要になると思います。この3つについて見ていきたいと思います。
利他愛による愛情の補充
人は生まれてからひとり立ちするまで、適切な愛情が注がれないと生きることは困難です。子供の頃や支えが必要な時には、基本的な愛情を受けられることが必要だと思います。
その上で、逆説的かもしれませんが愛情エネルギーは利他愛として誰かに与えることでも補充できると思います。(個人的解釈です)
相手を心から支えたり、助けたり、無条件の愛情を持って利他愛的行動をした場合、なぜか自分にも愛情エネルギーが注がれ満たされていきます。
スピリチュアリズムでは、他人に愛を与えると、与えた分の愛がただちに霊的エネルギーとして本人の霊に流れ込むとされています。
また霊的エネルギーは流れ込んでくるほど、本人の霊的な受け入れ口を広げ、更に多くの霊的エネルギーを取り入れることができるようになるようです。
そのため愛情を勝ち取ったり注目を集めようとするのではなく、自分の持てる利他愛を相手に注ぐことで、自分への愛情も補充ができるようになります。
参考: スピリチュアリズム普及会 > スピリチュアリズムとは > スピリチュアリズムの思想[Ⅲ] > 3.霊的人生を送るための実践項目〈2〉 > (1)利他愛実践の意味
https://spiritualism.jp/spiritualism/thought3/th3-03/th3-03-1.html
祈りによる愛情の補充
スピリチュアリズム的な祈りによっても、愛情の補充ができると思います。ここでいう祈りとは、初詣や願掛けの願い事、一般的宗教の祈祷等とは異なります。端的に言うと「自然法則の流れに自分をチューニングする」ことです。
物質的な日常の中で、ずれやノイズやわだかまりが生じ、それが霊的にも肉体的にも積み重なって行きます。
祈りとはこうした不協和音を含んだ自分自身に対し、自然法則や生命へ思いを馳せ、謙虚に感謝を抱き、自分の意識や行動を本来あるべき自然の摂理に沿うよう再調整し内省することと思います。(個人的解釈です)
シルバーバーチが話している祈りのような形はとてもしっくりきます。
例えば自然界や宇宙の始まり、霊や生命に満たされているであろう根源的な世界を描きます。そこに働いている摂理が、過去から現在、未来永劫にまで無謬な状態で続いて行くイメージをしたりします。
こうした自然法則に対して、今の自分にずれている部分があるなら軌道修正をして摂理にかなった生き方をしようとイメージしています。すると愛情とともに、本流に沿っている安心さ・本質さのようなものが得られるように思います。
祈りによるエネルギーの補充は、太陽光を浴びるように人の区別なく無条件に得られると言われます。未来にはこうしたあふれるほどの無償の愛情を豊富に得て、それを利他愛として人に注いでもエネルギーが枯れたりネガティブになったりすることは減っていくのだろうと思います。
参考:スピリチュアリズム普及会 > スピリチュアリズムとは > スピリチュアリズムの思想[Ⅲ] > 7.祈りの実践 > (2)祈りの霊的効用https://spiritualism.jp/spiritualism/thought3/th3-07/th3-07-2.html
霊的な視点で相手を見る
嫉妬に対応するためには、愛情の補充だけでなく人を見る視点も大切です。
物質的な姿で相手を捉えると、どうしても自分との比較や利害、好み等で捉えがちです。
そのためその人の本質、いわば霊自体を見るようにすると、表面的な姿や先入観に惑わされないようにしやすくなると思います。(個人的解釈です)
良心や霊的イメージで本質を捉える
相手を見たり考える時に、相手の良心や霊的意識のようなものをイメージします。その場合は肉体というより、相手の意識や霊格がシンボルや余韻で表現されているような抽象的なイメージとして感じ取れるかもしれません。
その相手の霊的イメージの中に、本当の相手の意識が反映されていると考えます。
もし自分に嫉妬の感情が湧いたら、相手が築き上げてきたであろう霊的イメージを見つつ同時に自分の良心も感じてみます。
するとこれまでの経験や成長段階、今の意識状態がそのまま霊的イメージに反映されているだけであり、今の意識の段階以上にも以下にも努力なしになり得ないことに気付かされます。
ごまかしの効かない霊的イメージの中では、嫉妬しようにもその動機や悪感情すらも自分の姿の投影物となり、自分の本質をより露わにするだけなのでしょう。
嫉妬で仮初めに自分をよく見せようにも濁った気配でばれるというような世界があるのだと思います。(個人的解釈です)
このように嫉妬心が湧いたら、相手と自分の良心や霊的イメージを感じて、本質的な自分の立ち位置の再確認と、足りない愛情を正しく補充する心がけをすることが大事だと思います。
良心や霊的イメージについては別記事で挙げていますので、こちらも合わせてご参照ください。
まとめ
今回、嫉妬について取り上げてみました。この世で生きている以上、自分と他人の比較は避けられませんし、嫉妬のような気持ちを100%なくすことは難しいと思います。
私も疲れたり不安や心配がある時は、気が緩んだりネガティブになりがちです。
そんな時はぐっと心の視線を上げて良心イメージを感じようとしたり、無償の愛情を補充できるように努めます。そして何より人生の終わりの時に悔いの残らない選択をしようと思い直すようにしています。
無償の愛情に満たされ、自分や相手の本当の姿を見る。こうした姿勢を取ろうとすることで、きっと嫉妬の克服もできると思います。
これからも粘り強く歩みを進めて行こうと思います。
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