見出し画像

BeautyJapan2023🇯🇵

⁡このコンテストに行き着くまでに、色んな偶然や出会いがありました✨⁡⁡⁡

まずは、⁡
⁡看護学校卒業から行き始めたマツエクサロンさんが、遠方に移転となり、そのオーナーさんから紹介頂いて4年ほど前から行くようになったマツエクサロンが、⁡
⁡なんと我らがNANIWAエリアの事務局長と同じだった
という事。⁡
⁡⁡
次に、 ⁡
⁡LINE以外のSNSを全くやってこなかった私に、右腕看護師が「会社設立記念にインスタ開設しましょ!」と言って、インスタ登録してくれた事。⁡⁡⁡⁡
⁡⁡
⁡そして、⁡
娘が二十歳となったタイミングだった事。⁡⁡

子供を産み育てるという決断をした16歳の私に、大人達が冷たい視線や心無い言葉を浴びせたのが20年前。⁡
⁡20年が経ち、娘が立派に成人式を迎えると、その大人達の私を見る目も変わった。「よく、ここまで育てたね。」「どう育てたら、こんなに優秀な子になったの?」と、私に心無い言葉をかける大人達は居なくなった。⁡
⁡⁡
⁡これは、ただ単に20年という月日がそうした訳ではありません。⁡
⁡私が強い想いを持って、この20年を一歩一歩、積み重ねてきたからだと思います。⁡⁡

⁡きっと、もっと楽に生きる人生設計もあったはず…。⁡

だけど、私は母であるが故、娘に“人生は甘くない”という事と、“自分自身で人生は如何様にも切り開くことが出来る”という事を身を呈して教えたかった。
それが原動力となり、今の私に繋がっているのだと思います。⁡
⁡⁡
人生に絶望した16歳の私は、⁡
⁡『自分のためではなく、誰か(娘)のためになら、強く生きられる』⁡と自分を奮い立たせ、娘を守れるくら強い母になりたいと⁡夢中で生きてきた。⁡
⁡⁡⁡
⁡しかし、今になって思う事。⁡
⁡それは、⁡この想いは回り回って“自分自身のためになっていた”という事です。⁡⁡

⁡⁡こんな波乱万丈な人生を送ってきたからこそ、私の声に耳を傾けてくれる人がいるという事も肌で感じてきました。

⁡⁡そう、私にしか歩めない唯一無二の人生を生きてきたからこそ、BeautyJapan🇯🇵の舞台に上がることが出来たのだと思っています✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?