月と兎とマリモ飼いの秘宝

00:プロローグ

中国の前漢の時代に編纂された書「淮南子」にこんな一文があります。
以兎之走、使犬如馬、則逮日帰風。及其為馬、則又不能走矣。
——兎の走を以て犬をして馬の如くせしむればすなわち日に逮(およ)び風を帰(お)わんか。その馬たるに及ぶやすなわちまた走る能わざるなり。——

つまり、兎は軽々と速く走れますが体が小さい。
そこで兎を馬のように大きくしたら馬よりも速く走れるかというと…
…実際に兎の体をその構造のまま馬のように大きくしたところで、ピョンピョン跳べやしないのです。
よた、よたと歩くしかなくなるでしょう。

地球では、こんな教訓めいた話になっているのですが…
月に伝わる昔話を集めた「ワイナン爺さんのほらふき話」という本にもこれに似た話が納められています。
しかも、続きがあるのです。

——地球の兎は速く走るのがたいそう自慢で、
「もし自分が馬のように大きかったら馬の何倍も速く走れる」と吹聴していました。
地球の神はちょっとこらしめてやろうと思って、その兎を馬のように大きな体に変えました。
すると兎は跳ねることができなくなって、ヨタヨタ歩くばかり。

とろい兎なんて、しかも馬のように大きな兎なんて、肉食動物の格好のえじきです。
巨大になった兎はひどい目に遭いました。
ちょっと意地悪な地球の神も、さすがに哀れに思って、兎を助けることにしました。
普通、ここで兎を元の大きさに戻すと思うんですが…

神さまといえども、意地悪からかけた呪いのような魔法って、なかなか解くのが難しいものなのです。
仕方がないのでこうなりました。地球の神は、巨大化した兎を月へ昇らせたのです。
月の重力は地球のおよそ1/6。兎は大きな体でも、ピョンピョンと跳べるようになりました。この兎が、古代クレーター文明を繁栄させたムカシウサギ族の祖となったのですよ。
(「ワイナン爺さんのほら吹き話」より抜粋)

……この「ワイナン爺さんのほら吹き話」という本は月兎に伝わる昔話の寄せ集めなので、この話の他にも月兎誕生の物語が載っています。

月兎たちの内で最もよく知られている月ウサギ誕生の神話といえば、
黒兎神が御餅をついて、白兎神がそれを丸めて、二足歩行してしゃべる兎を作った、という話ですね。
もち米の色の白兎、こんがり焼けた黒兎、きな粉をまぶした色の兎、醤油をつけたこげ茶色の兎、海苔で巻いた風のパンダ模様兎など、様々な毛色の月兎が生まれました。

……おなかのあたりに焼き網の跡がついた兎は、今でも腹筋が割れてムキムキだそうですよ。

地球常で知的生命体といったらまず人類だけですが(クジラやタコも知能が高いみたいですけどね)、月には独自の文明を持つ知的生命体が複数住んでいます。
月兎・月蟇蛙・月人がそうです。
いずれも、いつから月に住むようになったかについては諸説あるようですが、地球から移り住んだことは確かなようです。
月蟇蛙の祖は中国神話の嫦娥であるという説が有力です。

月人の祖は古くから地球と月を行き来していた仙人だと言われていますが、
中世ヨーロッパの魔女狩りの時代にも多くの魔女や魔法使いが月へ逃れ、
地球人から姿を隠すためか、はたまた地球を見たくなかったのか、月の裏側に移住しました。
それで今でも魔法使いのクレーター都市は月の裏側に多いのです。

さて、富士山頂から大きな大きな筍が生えて十年目になりますね。
あの筍もずいぶんと長く長く育ち、立派な宇宙竹になりました。
今年の夏のはじめには、48万キロメートル先の月まで到達しそうです。
ついこの間、富士山麓の宙港が完成して、樹海地下街がテナント募集を始めましたね。

月側の宙港候補地の方も、レチクスとメースチング、2つのクレーター市がギリギリまで争っていましたが、結局は仙術集団玄兎会の鶴の一声で、千年前の計画どおり、月の表側の中心に決定しました。
先月から竹の先端を誘導する呪文の詠唱が始まっているようです。

まさか千年以上前に日本に来ていたなよ竹のかぐや姫が、
月と地球に橋をかけるための使者だったとは驚きでしたね。
物語にある、帝に渡したとされる不老不死の仙薬、あれが千年後に発芽する宇宙竹の種だったなんて。
帝、アレ飲まずに富士山頂に撒いて良かったですね。

そして月側に残っている千年前の記録によると、かぐや姫が実は月兎だったという衝撃の事実。物語を知る日本人には衝撃でしたね。
しかし考えてみると、平安時代はふっくらしたしもぶくれの顔が美しいとされていましたし、兎のお顔を正面から見ると間違いなくしもぶくれですね。

実際、かぐや姫は真っ白な毛並みの美しい月兎だったと、月側の古文書に記述があります。
おまけにフワフワでモフモフですから、平安貴族にたいそうモテたのもうなずけます。
求婚者を断り続けたのは、宇宙竹を植える大事なお仕事の最中だったからなのですね。

ところで、地球も月も自転しているのに、地表を竹の橋でつないじゃっても大丈夫なの?
と、疑問に思う人もいることでしょう。

大丈夫! 宇宙竹はほぼ一里毎に節があり、その節が回転するように出来ているので、地球と月の自転によってねじ切れることはないそうです。

また、宇宙竹は地球の竹とは違い、節部分の内部には壁がありません。
宇宙竹内部には半円筒形の箱舟がセットされていて、乗客はエレベーターのように動く箱舟に乗って月と地球を往復できるようになります。

たいへん便利になりますが、これを準備するのに千年以上の時をかけたのですから気の長いことです。
しかし木星から宇宙竹の種を譲り受け、地球に植えることを計画したのが、仙人たちであることを考えると納得が行きます。
不老不死の体を手にした仙人にとっては千年ぐらい何でもないのです。

宇宙竹の種を植えるのに日本が選ばれたのは、火山活動が活発で水が豊富だからだそうです。
富士山頂に撒かれた宇宙竹の種は火口深く潜り込み、千年の間地下のマグマと温泉で温められました。
種の発芽に適度な熱と水分が必要なのは、宇宙竹も地球の植物も同じなようです。

なお、地球人としては48万キロ先の月まで架かったとんでもなく長い橋を運用し続けるに当たって、エネルギー問題はどうするのか気になるところですが……
月側の説明によると、宇宙竹は地球の上空に細く透明な茎を無数に張り巡らせ、地球人が全く利用していない雷エネルギーを吸収することが出来る上、
竹の外壁全面が太陽光発電出来るという特殊な宇宙植物なので、その辺は心配いらないということでした。

箱舟のチケットは開通後半年分まで既に売り切れているようですが、
玄兎会では箱舟の数を増やす効能のある宇宙竹用酵素を木星の衛星・イオの蜜蜂族に発注したという噂もあるので、夏休み中に月へ行きたい人、まだまだチャンスはありますよ。

NASAのアポロ計画で人類が到達した月は、岩と砂ばかりで空気もなくて、兎なんかいなかったという話ですけど。
ロケットで行くとどういうわけだか、11ばかりある並行世界のうち、
兎も何もいないところへ着いちゃうんですよね。 

その点、宇宙竹は人類のいる地球と、かつて嫦娥が飛ばされ、かぐや姫を地球へ送り込んだ月とを、ガッチリ繋ぐ橋になるので、
魔術や仙術が使えない人でも確実に月兎や蟇蛙のいる月へ遊びに行けます。

とはいえ、チケット代はそれなりのお値段です。月まで片道で、豪華客船で地球を一周するのと同じぐらいの費用がかかります。
それでも、ロケットを打ち上げるよりは格段に安くなるのですけどね。

さてさて、この時期、誰もが「そりゃ可能なら月へ行ってみたい」と思うものでしょうけれど……ここに一人、どうしても月へ行きたいと強く願っている子供がいました。
蓬町立蓬西小学校六年一組の、森林雨音という女の子です。
マリモ飼いの秘宝にまつわるお話は、ここから始まります。



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