いまが一番幸せ
最近、人生の中で一番幸せだなって感じています。
いつも心が穏やかで、プライベートでも仕事でもイライラしたり、不安になったりすることがありません。
たぶん、まだ生まれていないですけど、子供ができたからかなと思います。
これまでは、じぶんが何者かになりたいという欲求があって、今のままじゃダメだと思うことが多かったんです。
いまは、この子のために自分の人生はあったのかな。と思うようになり、心が満たされちゃっています。
いつ死んでもいい
もし、いま死んでもやり残したことはないな。
って思えたのは、人生で初めてです。
こんな話をすると、妻に「この子の顔はみたくないの?」と言われちゃうんですが、もちろん見たいですし、この子の成長をそばにいて見守ってあげたいと思います。
だけど、人はいつか死にます。
子供が社会人になるまで生きられるのか、孫の顔まで見ることができるのか、それはわかりません。
いつ死んだとしても、そのときには「子供と一緒にお酒を飲みたかったな」、「おじいちゃんになりたかったな」とか思うわけです。
子供の人生を少しでも長くみていたいという欲求は、尽きることがない。
そしたら、いつ死んだって同じじゃん。
という所に行き着いています。
これ、伝わってるかな?
子供の成長をみたいというのは、ぼくの欲求でしかなくて、たとえそれが叶わなくても、子供の人生は続いていく。
もっと一緒にいたかったなと思うけど、この子が生きてるならそれでいい。
この子が生きていることに満足しちゃって、じぶんの欲求(エゴ)がかきけされてるんだと思います。
この子がぼくの人生に意味をくれた
子供ができていなかったら、じぶん一人の人生でした。
なにかこの世に生きた証を残せるようなことを成し遂げたい、じぶんの人生に意味をもたせたいと考えていました。
死んだら何も残せず、人生の意味もみつけられなかった。
だから、死にたくないというのが強かったと思います。
子供ができたことで、これまで後悔することもあったし、挫折することばかりで、誰かに自慢できるような人生を歩んできたわけではないけど、その全てが肯定されました。
なにか一つ欠けていても、この子という奇跡にはたどり着けなかった。
ぼくの人生は、この子のためにあったんだ。
父の肺がんで死を考えるようになった
こんなに死について考えるようになったのは、父の体調が思わしくないからです。
2週間前に父は緊急入院し、あと1週間の命だと言われました。
父は肺がんなんです。
入院してからの経過は順調のようで、もしかしたら1ヶ月ぐらいで退院できそうなので、安心しています。
3ヶ月後にはこの子が生まれるので、孫の顔を父にみせてあげたいと思っています。
そんなこんなで、死について色々と考えてたわけです。
とにかくいまが一番幸せです
死のことばかり書いてしまったので、もしかしたら少しネガティブな感情になる方もいるかもしれません。
でも、この記事で言いたかったことは、ぼくは本当にいま一番幸せです!と宣言したかっただけなんです。
7月にはこの子が生まれて、そのうち「パパ」って呼んでくれるようになったり、いつの間にかぼくより身長が大きくなったり・・・
きっと、この幸せはどんどん更新されていくんだろうな。
ぼくは、この子ができるまでは、子供が欲しいと思っていなかったんです。
だから積極的に子作りもしていなかったし、もしできたらそれはそれでいいか。程度の考えでした。
人の価値観はそれぞれで、ぼくの価値観を押し付ける気はないですけど、ぼくは子供ができて価値観が大きく変わりました。
子供ができて良かった。
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