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小林信彦『ビートルズの優しい夜』 演劇/微熱少年 vol.2 『料理昇降機/the dumb waiter』について その2

奈良「・・・ピンターはどうだろう?『殺し屋』なんか…」
修 「ああ、あれはいい」
奈良「『ダム・ウェイター』だったな、原題は」
風間「どんなはなし?」
修 「殺し屋二人が、ビルの地下室で、組織からくる指令を、えんえんと待っているんだ。いやになるほど、待って、喧嘩を始めるんだよ」
風間「待ってくださいよ」
奈良「え?」
風間「まいったなぁ。ぼくが、いま温めているコントで、二人の殺し屋がじっと待機してるのがあるんです。そういうの考えてたんですよ、ぼくも…」
『ビートルズの優しい夜』小林信彦「踊る男」より 脚色:加藤真史

まだ家庭用ビデオカメラが普及するちょっと前、具体的には1983年なんだけど、私は友だちを集めて8ミリフィルムで映画を撮っていた。中学校一年生。ジャッキー・チェンのカンフー・アクション映画が人気があり、ブルース・リーの没後10年に合わせたリバイバルブームがあって、剣道や柔道をやっていたことも相俟って、香港のアクション映画みたいな安っぽい自主製作映画(というにもさらに安っぽい映画)を作っていた。

同時に、幼少期からいやいや通わされていたピアノ教室から「自由になる」と宣言し、ギターを手に入れて「自分の歌いたい曲を書いて歌う」を始めていて、思春期・反抗期の少年がハマる「理由なき反抗」の真只中でもあった。ある者は孤独なジェームス・ディーンとなって真夜中に校舎のガラス窓をこわして回り、ある者は寺山修司の啓示を受けてすべての書を捨てて街を目指し、そしてまたある者はジョン・レノンのいない世界に真の平和を求めてギターをかき鳴らした。そんな80年代初頭の風景の中、私は一冊の文庫本を手に入れた。

ビートルズについて書かれた本はまだまだ珍しかった。いや、もちろん音楽系の出版社が出しているグラビアや記録のようなムック本なんかはあった。評伝みたいなものとか。あとは片岡義男が訳したレノン=マッカートニーの歌詞を文庫に収めた『ビートルズ詩集』(上・下)新潮文庫とCBSソニーが出版した『ビートルズサウンド』という世界初のビートルズの音楽を分析した専門書があったくらいだ。あ、金田一耕助の出て来る映画でLet It Beが流れていた。あれはジョン・レノン暗殺事件から物語が始まる映画だった。

そんな当時に、小説の題材としてビートルズが取り上げられ、それがタイトルになっているのに目を惹かれた。作者は知っていた。『唐獅子株式会社』を書いた人だ。横山やすしと桑名正博で映画化したのを観たばかりだった。

数回の立ち読みを経て、購入したのは確か正月だった記憶がある。つまり、この一冊は初版1982年6月から1984年1月まで、田舎の書店の文庫コーナーで「俺を待っていてくれた」運命の一冊ということだ(と拡大解釈する)。

4つの短編の連作からなる日本のエンターテイメント業界を描いた作品で、ビートルズが登場するのはその内最初の短編のみ。1966年の日本武道館公演がテレビ放映される夜の出来事だ。4作目にも名前は出て来るが、既にジョン・レノンがいない時代になっており、苛立ちを抱えた主人公が深夜映画を観に入るとあるバンドの解散コンサートの映画で、その映画に突如リンゴ・スターが登場し、見知らぬ人ばかりのパーティで旧知の人に会ったように懐かしく思い物語が終わる。

そんな、小説の3つ目のエピソードが「踊る男」。
これは、明らかにモデルがすぐに分かった。当時、テレビで見ない日はない。絶大な人気を誇った萩本欽一「欽ちゃん」である。風間典夫、愛称フーテンとして登場するが、コント55号初期から時代の寵児になるまでがコンパクトに描写され、日本のテレビがある独自性を獲得していく様子を描きとった社会史として読むことも出来るエピソードだ。その中で、コント55号がアングラ演劇に挑もうとするエピソードがあり、それが冒頭の会話である。そこで取り組もうとした戯曲がハロルド・ピンターの『ダム・ウェイター』だった。

修の内奥では、いつか、風間の動きによって触発された黒い笑いの感覚が動き始めていた。欧米のいわゆる不条理劇は、若い優れた喜劇役者によって上演されるべきではないかという、ここ数年の彼の疑問は、次第に確信に近くなっており、それを試みるとしたら、いま、風間典夫以外の役者考えられなかった。
『ビートルズの優しい夜』小林信彦「踊る男」より


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