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「機械」と「生命」を混ぜた、新しい組織の「共同幻想」

「新しい組織」に関する記事や議論を目にする機会が増え、具体的・実践的な面白いチャレンジもどんどん出てきました。
私自身、自然(じねん)経営研究会の活動や、大小様々な企業をご支援する中で、色んな変化を実感しています。

これらを大きな文脈で言い直すと、いま求められている大きなチャレンジは、新しい「共通の組織像」が生み出されることなのだと感じています。

・・・そして、いま感じてることをなるべくちゃんと書こうとしたら、またしても、だいぶ長くなってしまった。
3行でまとめると言いたいことは

- 色んな「新しい組織」の捉え方が生まれている
- その中でも「機械的な組織」と「生命的な組織」の対比が有効
- 次は「機械」と「生命」が混ざった共通の組織像(=共同幻想)が必要

です。ここから先はお時間の余裕のあるときにぜひ御覧ください(笑)

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「新しい組織像」の色んな表現の仕方

「新しい組織」の姿を考えると、その筆頭格はやはり「ティール組織」。
2018年1月に発売されてから5万部以上の販売、全国各地でのABD(Active Book Dialogue)開催、国会でも言及される、など、日本国内では色んな波及をしています。
たぶんこれは言わずもがな。なので詳しくは割愛。

さて、ティール組織に限らず、他にも色んな切り口から「新しい組織」は語られています。
世の中でこんな言われ方がある、という例示に、3つピックアップしてみます。

1)「20世紀型」と「21世紀型」
例えば、2019年3月号のハーバード・ビジネス・レビューに掲載されている「組織の『存在意義』をデザインする」という記事では、「20世紀型」「21世紀型」という切り分け方をしています。

20世紀型の組織は、かつての自動車産業などが典型的で、有限なリソースを組織内に囲い込み、効率的な生産体制を構築していきます。
21世紀型の組織は、GoogleやAmazonが典型例で、プラットフォーマーとして多様なリソースを呼び込み、指数関数的な成長を実現します。
(個人的にこれはシンギュラリティユニバーシティの文脈を下地に見ると理解しやすい気がする)

2)「予測可能な状況」と「予測困難な状況」
また、Responsive Orgという団体では、「予測可能な状況」と「予測困難な状況」を対比した上で、それぞれに適した組織の在り方を語っています。

Responsive Orgは、「働き方や組織の在り方の根源的なシフトを生み出す」ことを目的に活動しています。2018年9月に行われているResponsive Conference 2018の参加レポートをヒューマンバリューさんがアップされているので、これを見るとおおよその雰囲気は感じられます。

3)「Old Power」と「New Power」
最後に、昨年4月に英語で出版されて以降、既に10カ国以上で出版されているという「NEW POWER」から。

オールドパワーとは、「少数の人間がパワーを掌握し、守り抜こうとする」もので、「貨幣」に似ている、というのに対し、ニューパワーとは「多数の人間によって生み出され、対等な仲間によって運営される」もので、「潮流」のように広まるもの、とされています(上の図は、その中の価値観をピックアップしたもの)。

以上、3つを拾ってみました。
言い方は少しずつ違いますが、「目的(purpose)への共感」「透明性」「自律性」「実験」「境界の曖昧さ」などが共通のキーワードとして上がってきています。

※ ちなみに、これらに近しい話は、ずいぶん前から言われています。パッと思いついたのは「複雑系の経営(1997年/田坂広志)」や「経営の未来(2007年/ゲイリーハメル)」など。
なので、いよいよtipping pointを超える大きな流れになってきた、ということだと感じます。

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「機械的な組織」と「生命的な組織」という対比

ここで上げた以外にも、「新しい組織像」を切り取るのに、色んな表現が出てきていますが、その中でも「機械的な組織」と「生命的な組織」という対比が分かりやすく、現状に適していると思っています。

冒頭でも触れた自然(じねん)経営研究会という活動は、2017年12月から始めました。「自然経営とは?」の定義について、緻密に体系化してきていませんでしたが、これまで色んな形で表現してきたことも、「機械的な組織」と「生命的な組織」の対比という切り口から見ると、ある程度分かりやすくなります。

それは、3つの「組織の特徴」と、4つの「変化の生まれ方」で表せると思っています。

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3つの「組織の特徴」の違い

「機械的な組織」と「生命的な組織」で対比してみると、組織の特徴として、次の3つの違いが挙げられます。

1つ目は「時間軸」の違い。
機械的な組織は、「未来の目標」を先に定めて、そこから逆算して「今、何をすべきか?」を考えますが、生命的な組織は、「今、ここで何をすべきか?」を連続的に積み重ねることで進んでいきます。

2つ目は「目的」の違い。
機械的な組織は、何らかの「共通の目標の達成」を目的とするのに対して、
生命的な組織は、「良い状態が持続すること」に重きが置かれます。
これは、以前に別で書いた「達成型目標」と「状態型目標」の違いと通じる話でもあります。

3つ目は「境界線」の違い。
機械的な組織は、「ウチ」と「ソト」の境界線がハッキリしているのに対して、生命的な組織は、その境界がはっきりしていません。

これらはそれぞれ密接に絡み合っています。
機械的な組織は、共通の未来の目標を最初に定め、そのために活用可能なリソースも明確に定義し、逆算して具体的な行動に落とし込みます
それに対して、生命的な組織は、良い状態を続けやすくなるだろうという方向に、流れに身を委ねるかのごとく自然と進んでいきます。

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4つの「変化の生まれ方」の違い

さらに、機械的な組織と生命的な組織の「組織の違い」を前提にすると、それぞれの「変化の生まれ方」も違いが見やすくなります。

機械的な組織では、
全体の目標を達成するために変化が起きます。そのため、変化を起こせるのは情報を多く持っていて、「全体」が見えている一部の人(要は経営陣など)であり、目標と現状の差分を「課題」と定義して、課題解決型のアプローチを管理することによって変化を実現します。

一方、生命的な組織では、
そもそも「共通で達成したい目標」が存在しないか、あっても希薄なので、変化の起点は「やりたい」という個人の想いから始まります。そのため、変化を起こす人は流動的だし、色んなところで同時多発的に起こります。当然、それは計画や管理など出来ず、偶発的に発生します。「やりたい」という意思を尊重し、それが進展していく上で邪魔なものを取り除いてあげるという支援をすれば、あとは変化を見守ることになります。

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「機械」と「生命」を混ぜた、新しい「共同幻想」が求められる

私自身、自然経営研究会の立ち上げから関わり、「生命的な組織」に色んな発展の可能性やを感じています。ただ、決して「生命的な組織こそが最も理想的な組織の姿だ」と思っているわけではありません。

機械的な特徴を持った組織を選択することが「理に適っている」と判断できる場面は沢山ありますし、これまでに培われた機械的な組織運営の優れた知見・実例を捨て去る必要も全くありません。

いま求められている大きなチャレンジは、「機械的な組織」と「生命的な組織」が融合すること、もう少し言い換えると、「機械」「生命」それぞれの特徴を持ちながら、それらを包括した新しい形を作り出すことなのだと思っています。

サピエンス全史」では、組織とは「虚構」だと言い切っています。

 「プジョーは私たちの集合的想像が生み出した虚構だ。法律家はこれを『法的虚構(法的擬制)』と呼ぶ。それは指で指し示すことができない。有形の存在ではないからだ。だが、法的な主体(法人)としては、たしかに存在する」 サピエンス全史(上) P.45

私なりの言葉で言い直せば、「組織」とは、「多くの人が協力して成果を出しやすくするために発明された道具」だと捉えていますし、個人的には、組織とは「共同幻想」だという言い方がしっくりきます。

都市において、信号機や車線などの交通ルールに従うことで多くの自動車が走れるのと同じように、組織においても、みんなが暗黙的に共有している構造(=共同幻想)があるからこそ、少ないやり取りでも効率的に多くの人が動けるようになります。

現在では、「組織」と言われると、「ピラミッド型」「中央集権型」「管理主導型」といった、機械的な特徴を持った組織のイメージが最も広く共有されていますが、本質的に求められているチャレンジは、「組織の新しい共同幻想」を創り出すことなのだと捉えています。

そのときに、多くの人が直感的に共有しやすい概念として、「機械的」や「生命的」という言葉が有効であり、そこから次の新しい組織像が表現されていくと良いのでは、と思っています。

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そして、そもそも「機械」や「生命」とは…

経済学者の青木昌彦さんの「私の履歴書」の中に、こんな文章があります。

社会のゲームの新しいルールは、古いルールをぶち壊したのちに突然生まれるのではなく、ゲームのルールを変えようという人たちのあいだで、すでに実験され、胚胎されているプレイの仕方が、だんだんと世の中に受け入れられることによって生まれるのだ、と。
(「人生越境ゲーム―私の履歴書」P.135)

自然経営研究会で取り組んでいることも、感覚的にはこれに近いです。
「生命的な組織」というのは、それ自体が「ものすごく新しい」わけでもなく、すでに沢山の実例があり、それらを改めて捉え直し、多くの人が共有しやすい形が作られていく。その流れを促す活動になっていけば良いなと思っています。

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そしてさらに、「もっと先の世界」で言えば、「機械」や「生命」という概念自体が、もはや猛烈な勢いで境界が曖昧になり、定義が上書きされつつあります。遺伝子編集の技術、AI(特に機械学習/ディープラーニング)、などなど…。

コンピューターという発明が身近になった我々は、「OSとアプリケーション」という比喩が直感的に理解できるようになりました。
「もっと先の世界」では、「知能」と「意識」は違う、「有機物によるアルゴリズム処理」と「無機物によるアルゴリズム処理」は違う、とか、さらに違った概念で世界を切り取っている可能性もあります。

そういう「もっと先の世界」へとなめらかに接続されていくためにも、今の世界で捉えられる「新しい組織像」がより鮮明に浮かび上がることが必要なのだと思います。

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