日本のエネルギー政策 「火に油」「焼け石に水」 どこまでも 続き
G7広島サミット前の北海道での「気候・エネルギー環境相会合」に向けて、SNSでは地元の若者二人が日本政府の石炭火力延命策に抗議するためにハンストをおこなうという投稿が拡散されている。
そこまで思い詰めて行動に出るというのは、化石燃料依存の世界規模の経済活動が引き起こした前代未聞の危機が、日本でも若者中心に社会全体に及んでいることの表れ。同時に、限られた環境の中で本人たちが見つけた非暴力のその手段には、計り知れない可能性が秘めている。だからこそ、今一度はっきりしておかなければならないことがある。
削るべきは未来ある若者の命ではなく、あらゆる危機の原因の化石燃料であり、とりわけ火力発電による温室効果ガスであり、その責任は大きくは化石燃料産業や政府にあって、生活者や消費者にあるのではない。経済では、最上位わずか数%の個人や企業が世界全体の温室効果ガス排出量の大半を占めていることが明らかになっていて、その逆は無い。
日本の気候運動が取るべき行動は「脱化石燃料」「脱原発」「再エネ転換」早期実現を訴え、世界と連帯すること。従来の「脱石炭」「脱原発」限定のキャンペーンは「つなぎの天然ガス」が引き起こしている問題から目を背ける行為に他ならないし、石油の問題も依然としてある。
運動の組織化をおろそかにして、ハンストの話題を取り上げることで誤魔化してはならない。いかなる場合も「命」を大事にすることを教えるのが先決で、「ジブンゴト」を安易な「自己犠牲」にさせてはならない。抵抗運動は「ファッション」ではないし、「消費」では解決しない。
気候や生態系の危機は、温室効果ガス排出量だけの問題ではない。削減目標の文言や数値は、あくまでも「脱炭素」化実現までの手段や過程に過ぎず、市民に課せられた最大の課題は国境を越えて「不公正」「不正義」とどこまでも闘うことにある。
それには、先進国と途上国という単純な振り分けではなく、それぞれの国や地域に存在するグローバルノースとグローバルサウスとの「交差性」のもとで、「下から上」へと民主主義を体現すること。それが「犠牲ゾーン」を生まない、誰一人取り残さない、真の「公正」「正義」になる。