谷口けいさんが目指したパンドラ(6850m)東壁に挑戦します
10月にネパールの東の果てにそびえるパンドラ山(6850m)の東壁にトライしたいと思っています。
山麓から山頂までは、標高差1000m以上の切り立った氷と岩が続く、見事なヒマラヤの壁です。
この壁は、私が『山と溪谷』『ROCK&SNOW』 編集部員時代に編集長だった萩原浩司さんが、2013年、アウトライヤー東峰(7035m)に遠征した際に、山頂から撮影した写真の中に写っていたものです。
その写真を私の登山の師匠である谷口けいさんが着目。
そして、2015年、けいさんは、そのパンドラ東壁に、和田淳二さんと挑戦。
しかし、壁の上部まで行ったところで惜しくも撤退。
けいさんは、下山後にフェースブックでこう書いていました。
「開けけてしまったパンドラの箱。中身を確認しに、また必ず行きます。……それまでこの山の詳細は内緒」
しかし帰国一カ月後、けいさんは、北海道の黒岳で滑落してしまいました。
43歳という若さでした。
彼女の生きた記録を残そうと、私は
『太陽のかけら』
という彼女の評伝を書きました。
けいさんは、クライマーの平出和也とヒラマヤを登り、世界的に権威のあるピオレドール賞をとったことで知られていますが、私はこの本を単なる「登山記録」としては書きませんでした。
決して強くはなかった自分自身を乗り越え、未知の世界に飛び込み続けていったけいさんの「心の軌跡」を書きたかったのです。「まえがき」では、この本が、
「自分を変革し、新しい地平に向かって一歩を踏み出そうとするすべての人への力になってくれればと思う」
と書きました。
それは自分自身に向けて書いた言葉でもありました。
文字でけいさんの人生を追体験し、さらにけいさんの登れなかったパンドラに登ることで、私も自分自身を変革したいと思ったのです。
自分がパンドラに挑戦することは、最終章に書きました。原稿を『山と渓谷』の萩原さんに持って行くとすぐに出版に向けて動いてくれて、2018年の年末に発刊。
しかし、そこからのパンドラへの道は、決して易しくいものではありませんでした。
2019年、パンドラのシュミレーションとしてアラスカ・ハンター北壁に、けいさんの山仲間だった鈴木啓紀と挑むも、悪天候と実力不足で敗退。
「悔しい」と思う余裕もない、命からがらでの下山でした。
その後は、日本で氷壁を登りこみました。
穂高岳、鹿島槍ヶ岳、錫杖岳、米子不動……。体力を使い切るようにして登った壁も、少なくありませんでした。
そしてむかえた2022年のハンター再挑戦。
鈴木と北壁を越え、なんとか山頂まで登ることができました。
「次はパンドラだ!」
地平線まで続く氷と岩の山々を見ながら、そう強く思いました。
この時は壁の下に撮影隊がいて、登はんの一部始終を望遠カメラで捉えてくれていました。
私は山頂付近から豆粒のように見える山麓のテントに向かって大きく手を振りました。
https://www.youtube.com/watch?v=hj62GlsmPrY
しかし、下山をすると、言葉もでない事実が。
平賀淳カメラマンが、氷河のクレバスに落ちて亡くなってしまっていたのです……。
彼とは20代前半からの付き合いでした。平賀さんは、きっとパンドラにも撮影に来てくれるつもりだったのだと思います。
私は、平賀さんの分までもパンドラに情熱を捧げたいと思い、その後もトレーニングを積み上げました。
平賀さんの遭難から2年後、けいさんからは9年後の今年、ようやくパンドラに挑戦する機会に恵まれました。メンバーは鈴木と『太陽のかけら』を読みパンドラのことを知ったクライマーの高柳傑。
少しづつ登はん技術を高めてきましたが、気が付くと私はけいさんの歳を越え、44歳になっていました。
一般的には青春時代が終わり、熱が冷めてくるころだと言われています。
しかし「そうではない」と自分に言い聞かせるようにパンドラへの最終調整を淡々とこなしました。
ハンター北壁を登れたのだから、技術は十分なレベルまで行っている。あとは低酸素の高所でも動ける体を作ることでした。
そこでこの春夏、富士山に13回登頂。山頂の御鉢は30周以上、走りました。
調子は上がり、5合目登山口から山頂までは、1時間25分で登ることができるようになりました。
「太陽」のように輝いていたけいさんの「かけら」は、熾火のようにずっと心の奥で燃え続け、トレーニングの日々を支えてくれました。
しかし7月下旬、まさかの訃報が飛び込んできました。
谷口けいさんとともにピオレドール賞を受賞した平出和也が、世界第二位の高峰K2で遭難……。
平出と私は、21歳の時に一緒にチョーオユ(8201m)を登り、30歳の時には、カナダのハウザータワーを登攀した仲でもありました。
https://note.com/energy4life/n/nafaf7a57e8b5
この遭難は全国的なニュースとなり、多くの方々にこう言われました。
「こんな遭難の後に、本当にお前はヒマラヤに行くのか?」
しかし、けいさん、平賀さん、そして平出から、多くの影響を受け
「自分も挑戦しなくとは」
と思い、計画したこのパンドラへの挑戦。
それをもし諦めてしまったら、
「彼らのようには、動けなかった」
という後悔しか残らないと思います。
けいさんはフェイスブックに比喩表現として
「開けてしまったパンドラの箱」
と書きました。
ギリシア神話のパンドラの箱は、開けると邪悪なものが飛び出してくるということで知られています。
山仲間の中には、
「平賀さんや平出の遭難は、まさにそれだったのでは?」
と言う人もいました……。
しかし、そのギリシア神話には「続き」があります。
たった一つ、箱の底に残ったものがあったのです。
それは「エルピス」だったと言われています。
この古典ギリシャ語の解釈はさまざまなようですが「予兆」「期待」「希望」などとも訳されています。
英語圏では「Hope」(希望)と訳されることがほとんどのようです。
私はこの言葉を、良い解釈でとらえていてます。
今はパンドラ東壁を登りきり、山頂に立ち、無事に三人で降りてくる明るいイメージしか沸いてきません。
未来に「希望」をつなげるために、パンドラは必ず登りたいと思います。
登頂は、10月末になる予定です。
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