見出し画像

池澤夏樹『スティル・ライフ』(毎日読書メモ(388))

前に、「わたしの本棚」というお題のタグをつけて、実家の本棚の話を書いたことがあったが(ここ)、実家で塩漬けになっていた本の中に池澤夏樹『スティル・ライフ』(中央公論社、現在は中公文庫)の初版本、しかもサイン本があったのを、家に持ってきて、三十数年ぶりに読んでみた。「スティル・ライフ」(1987年発表)と「ヤー・チャイカ」(1988年発表)の2編。「スティル・ライフ」で、1988年に芥川賞受賞。わたしが持っている本の帯には「新芥川賞作家登場」と書いてある。

書き出しの「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない」から始まる一連のくだりを読んでいると、なんだか、村上春樹の影響受けてる?、と思ってしまう。池澤夏樹は村上春樹よりほんの少し年上だが、村上春樹は当時既にプロの作家として一定の支持を受けており(というか、『ノルウェイの森』がベストセラーになったのが1987年だ)、真似をするつもりはなくても、ちょっとシニックな文章を書くと村上春樹っぽくなってしまった時代だったかもしれない。
一方で読み進めると、言葉の使い方の美しさが身に沁みる。小説家である前に詩人だったから、言葉の使い方もそれだけ丁寧なのだろうと思う。
染色工場でアルバイトをしていたぼくは、フリーター仲間(とは当時は言わなかったと思うが)の佐々井と親しくなり、ふとしたきっかけから、佐々井の手伝いをして株式の売買をするようになる、という、ちょっと浮世離れした不思議な物語。久しぶり過ぎて、物語もすべて忘れていたが、金銭の絡むきなくさい状況の中、ぼくと佐々井の会話は浮世離れした透明感に包まれている。
スーパーカミオカンデが出来るよりずっと前に、バーで飲むウィスキーに添えられた水のグラスの中にチェレンコフ光のきらめきを探していた佐々井は、ぼくと別れた後も、星の光を探して歩いて行ったのか。

「ヤー・チャイカ」は不思議な仕事をしている文彦と娘のカンナの物語。離婚して父子二人で暮らしているが、文彦は在宅で仕事をして、時々オフィスに行き、その後泊まり込みの出張をする、という仕事ぶり。会社のコンピュータとつながったパソコンで自宅で仕事をして、というところが、今読むとやけに先進的というか、昭和の世にVPNもなく、どんな仕事を、と思ってしまう。ある意味その先進性が文彦の仕事を象徴しているかも。
出張先で偶然出会った、日本語の流暢なロシア人パーヴェルとの不思議な関係を、望郷の念と愛国心を天秤にかけるという不思議な状況のなか描く。
一方で、カンナのひとり語りで、ディプロドクス(恐龍)を飼う、というエピソードが出てきて、これは、カンナの成長のメタファーになっている。高校生の少女にしてはあまりに大人びたカンナの言動に驚くが、そのカンナは物語の最初と最後で全く違った存在になってしまうようだ。
そして、文彦が女性宇宙飛行士テレシコワ(コールサインが「ヤー・チャイカ」)にファンレターを書いて投函しなかったこととか、パーヴェルと文彦それぞれがアイススケートで遠出して霧にまかれた少年時の記憶を持っていることなど、一つ一つのエピソードが際立ち、友情のような関係が芽生えたと思うと、大きな緊張関係が生じたりする。

どちらの物語も大きな不安をはらみ、ある意味、昭和末期の時代の不透明感を象徴しているのかもしれないと思う。

#読書 #読書感想文 #池澤夏樹 #スティル・ライフ #ヤー・チャイカ #中公文庫 #芥川賞 #私の本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?