「死にたい」と「(自分を)殺せ」って違うのかな

死にたい、というよりも自分に対して死ね、殺せという気持ちの方が大きい。できればナイフで、刺し甲斐のある太ももやお腹を。死にたいってなんかやっぱりしっくり来ないかもしれない。どうでもいいことなんかもしれんけど。両ももを刺しまくって腹を刺しまくって腕の肉を噛みちぎってしまいたい欲求に駆られて、でも怖いからナイフはまだ持てないんだ。半袖だから腕も噛めない。自分で刺すから、誰かに殺してなんて言わないから、お願いだからナイフを使う勇気をください。これって死にたいってことなのかな。


自分を責めるってことなのかな。でも自分を責める以外で死にたいってわかんないや。諦めとかなのかな。自分を諦められないから殺したいのかな。苦しんで苦しんで、痛みに泣いて喚いて出血死しろ。そう思うのは何で?


自分の失敗を許せない。

自分から謝れないこと、それを指摘されたこと、すぐに頭に来ること、それを態度にそのまま出してしまうこと。

好きな人を誤って傷付けてしまうこと、それを訂正できないこと、いつまでも子供なこと。

愛されてないとかは思ってない。でも無条件で愛してとは思う。きっと好きでいてくれてる。でも間違って傷付けてしまう。謝れないまま距離を取ってしまう。

自分の至らないところなんて細かく挙げれば山ほどあって、全て許せなくて自分が嫌いだ。許せないし、死ねと思う。苦しんで死ね。


そう思うほど、涙が止まらないんだ。許せないけど諦めきれなくて、でも自分では動くことのできない怠惰でいつまでも受け身で考え無しで、だからこそ上手く生きようとも死のうともできない自分が嫌になる。涙の分の水分は、血として流して死ねばいいのに。結局今日も頭の中で刺して終わるんだ。

想像の中では数え切れないほど死んだのに、何で私は傷跡もなく生きてるんだ?

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