在る以上も在る以下もオチもない

一旦、原稿用紙1枚分くらいの文章を書いてみたが、まったく前置きとして長いだけの無駄な文章だったので、全部消して改めて今これを打っている。
まぁこの説明も要らないと言えば要らないし、単に先ほど消した原稿用紙1枚の鼬の最後っ屁的な文になってしまったという結果にしかならないだろう。

さてと。
保育園の時からの幼馴染で、小中と同じ学び舎で過ごした友人の一人の話をしようと思う。
ただ保育園から中学校まで時系列で話始めると、それこそダラダラと原稿用紙が埋まっていくだけなので、中学校まで時間をすっ飛ばす。
仮に名前をH君とする。まぁ実際H君なんだけど。
H君は中学生になり、付き合っている界隈的に自然な流れでヤンキーになる。ただ、他のヤンキー連中とは一線を画し、乱暴をしたり悪さをしたりとかはまったくなく、妖精の様な性格だった。そんな彼がなぜヤンキーになったのかは、双子の弟の影響もあったのだと思う。まぁその話は割愛する。
中学を卒業すると、勉強もできなかった(やらなかった)彼は、商業高校だかなんか、偏差値最下層の高校へ入学していったと思う。
でも私は、純粋に高校に入れてよかったとそう思った。
中卒だけは出したくないという学校の計らい、というか、体裁というかでとにかく高校へねじ込んでいたんだとも思うところはあるが。
ただ学校生活はどんなんだったのかは、違う高校に行った私にはわからなかったし、直ぐに接点もなくなっていく。
とりあえず高校に進学したH君は、ヤンキーを継続していて、その流れで暴走族へ入っていた。
その他にも何人かのヤンキー連中は暴走族へ入り、夜な夜な暴走していたようだった。

高校に進学して、1年と2か月くらいたったくらいだろうか…1か月くらいだったかもしれない。とにかくまだ新学期にあまり慣れていないくらいのタイミングだった気がする。
H君ともう一人のH君が、暴走族の集会中に10トントラックに激突され、H君は意識不明の重体、もう一人のH君は死亡したと連絡が回ってきた。
死んだ方のH君は私の近所に住んでいて、小学生の頃はしょっちゅう遊んでいて、彼もまた幼馴染の一人であった。
死んだH君の通夜には、族仲間のメンツも参列していた。どの面下げてきたのかと思ったし、その中の数人はへらへらと笑っていたのは今でも忘れない。そいつの事だけは今でも心の奥で許してはいない。

事故による損傷が酷く、ミイラの様に布でぐるぐる巻かれれ、何とか顔だけ見せられるくらいに修復された遺体を見た時、昔は毎日の様に遊んでいたのに徐々に不良へ変化していった彼を、ヤンキーの道に進まない様にどこかで止める事が出来なかったのか、など都合のいい贖罪みたいな気持ちが出てきて自分に吐き気がした。
この件で、彼の母親は気が触れてしまい、暫くして何処かへ家族と引っ越していった。

通夜には、奇跡的に一命を取り留めたH君は、当然参列していなかった。
とにかく集中治療室に入れられ面会謝絶だったので、お見舞いに行くこともできず、しかもそれが1年位続いた。
植物人間になるかもしれない、意識が戻ってもまともな生活は出来ないかもしれない、腰の骨を粉砕しているので一生車いす生活かもしれない、など状況は最悪だった。
H君の時間が止まっている間、私含めそれ以外は日々それぞれの時間を過ごし、いつしか2年ほど経過していた。
そんなある日、地元の知り合いからH君が意識を取り戻したと連絡が入った。ただ、やはり腰の骨を粉砕している事で障害が残り、歩けるかどうかわからないという事だった。
とにかくお見舞いに行くと、結構元気だった。ただ歩けないようで、それについては、手術してリハビリすればなんとかなるとか、結構明るく言っていたような気がする。
とにかく無事でよかったと思った。だからちゃんと歩けるようになることを祈った。

それから1年位、ちょうどあいまいだが、高校を卒業したか大学生になってしばらくたったころだろうか。H君から連絡が来た。
車の免許取ったからドライブ行こうよ!
というのだ。
どうやら手術はうまくいって車を運転できるくらいまで回復したようだった。
それには本当に喜んだ。
待ち合わせ場所まで行くと、それらしい車が近づいてきて、運転側を見るとH君が運転しているのが確認できた時は、何とも言えない感覚だった。
H君が運転する車に乗って、私が知っている旨いラーメン屋を紹介しがてら一緒に食べに行った。
その道中、いろいろな話をしたと思うが正直覚えていない。
ただ、腰も後遺症が残っているせいで、アクセルやブレーキの踏み方に癖があったのは覚えている。
それよりも気になったのは、3年ぶりにあったH君が、中学生の時からそのまま、時間が止まっているかのように、昔と同じく妖精のままだった事だ。一応私も中学から高校生の3年間を、高校生活以外も含めた人生を経験してきた中で、話し方や考え方など無意識レベルで、でも昔と比較したら違いはわかるくらいには変わったと自覚はしている。
小学校の頃は少し性格の悪くて空気読めないタイプの子が、高校に上がってから道端で久しぶりに会ったら、すごくおとなしい子になっていて驚いた、あるいは、おとなしかった子が高校デビューした、などそこまでは変わってはいないが。
ただH君は本当に中学校の時のままだった。というか小学生の時から変わっていなかった。
でもそれも仕方がないなと、その時は理解する。

それから10年近くたち、私も全く想像だにしていなかったが、大阪で1人生活をしていた。
ある日、ガラケーに一通の送信者不明のショートメールが届いた。H君からだった。
どうやら東京の私の自宅を訪れた際に、大阪に行っている事を聞き、連絡先として携帯の番号を教えてもらったらしい。
メールで返信してもよかったが、携帯のボタンで文字を打つのが本当に嫌いだったのと、文章ではニュアンスが伝えにくいのが非常に煩わしいので、電話を掛けた。
事故の後遺症は残っていて、生活していく上で障害になっており、仕事に就くのが難しい事、暴走族時代の仲間に色々世話になりながら一応障害者枠の仕事で何とか今生活は出来ている事、族仲間曰く、当時仲が良かった同級生らに連絡を取って、いろいろ話をしたり日々の生活での楽しみを見つけたほうが良いというアドバイスをされて、私に連絡してきたんだという事などを話してくれた。
一つだけ気になったのは、そのアドバイスをしていた元族仲間の人間が、葬式でへらへら笑っていた奴だったことだった。
ただ、当時から10年以上経て、私の感情も多少落ち着いていたし、せっかくメールをしてきてくれたH君に聞かせる話でもないという思いから、それは飲み込んで、H君との話を続けた。

そんな会話中、昔、車で迎えに来てくれて一緒にラーメンを食べに行った日と同じかそれ以上に、H君に違和感を感じた。
一生懸命話をしてくれるH君は10年以上経っても、中学生のH君のままの人格だったからである。
ただ、嫌悪感や、その年齢でそれはね~だろ~みたいな、そういった感情はなかった。

H君はずっと、一緒に遊んでいた時のままのH君で、ずっと変わらずそのまま、今まで生きていた。
それって結構普通じゃないの?
と思うかもしれない。
ただ、それくらいだったら別に書こうとも思わないし、そもそも違和感も感じない。
その当時、もっと色々経験を積んでいれば、そういう人も世の中には沢山いるだろうと考える事はできたのかもしれない。

これからずっと誰かの補助を受けながらしか生きていけないのかもしれない。双子の兄弟のサポートも受けているのだろうか。
小学生の時に男を作って出ていった母親。中学生の時に死んだ父親。おそらくもういない祖母。身内からのサポートは双子の兄弟以外いない。
収入は十分やっていける程度はあるのだろうか。
これからH君は大丈夫なのだろうか。
彼の話を聞きながら、そんな風に、これからの事などがとても心配になったが、話をしている間中あったのは、やはり違和感だった。
あの時、事故った瞬間から、彼の時間は止まってしまった…としか思えなかった。

「また東京に帰った時はラーメン食べに行こうよ」
と約束をして電話が終わり、その後、色々と考えた。
私自身も、23歳の時にバイクで事故を起こし、頭蓋骨骨折、硬膜破裂、くも膜下出血、脳挫傷という、ハードな経験をしている。
奇跡的に、20年以上経った今のところ、実感している様な後遺症はないと思うが、それすら認識できない程度の状態なのかもしれないと、たまに思う事もある。ただ生活に支障はないので、おそらく大丈夫なのだろう。
実際、脳髄をヤッているので、その後遺症にどういったものがあるかは大体把握している。だから、もしかしたら、1年以上昏睡状態が続き、意識が戻らなかった事で、H君の脳に何らかの損傷が起こったのかもしれないとも思った。
でも、そんな感じではなかった。

もしかしたら、ただ、私がそう感じているだけなのかもしれない。
 人は変わっていかなければいけないのだ
 子供から大人へ、変化していくべきだ
 そうでなければ人として失格だ
そういった、成長過程でいつの間にか刷り込まれていった価値観が、H君に対して感じた違和感の正体なのかもしれない。
そう思った。

私自身、正直言うと社会に興味もなく、常識という水面のように変化していくような、ある集団内で出来上がった不完全な価値基準にはあまり興味がない。
ただ当時は、結局そういうつもりでいるだけの、狭い世界の表面的な、想像だけで固めた、脆い若造の思想だった。
そして大抵の人は、先に書いたような
こうあるべきだ
という刷り込まれた価値観や義務感、社会的圧力の中で、それなりにやり過ごすためのペルソナを被って生きている。
それはたぶん、この世界では普通で、それは正しい事なのだろう。
だからH君の様な内面的に変わりもしない、子供のままの大人を見た時、
アイツは社会不適応者だ
というスティグマの烙印を押されるかもしれない。

そして、無意識に、無自覚にその烙印を押したのが、他でもない私だった。

そこに気が付いた瞬間、とても怖くなったのと同時に、雷に打たれた様な感覚がした。
そうか、体得するというのはこういう事なのか、そう思った。
変わっていないのは俺も同じだった。
もう価値観とか本当にどうでもいいじゃないか。
H君に何もおかしいことなどなかった。
今のあのままでいいのだ。
そう在ることを、そう在るだけと受け入れればいい。
そこに着地した瞬間、H君に対する違和感は全くなくなっていた。

あれからもう20年近く経つが、その間で連絡は数回あった程度で最近は全くない。
たぶん、まだあんな感じで生きているのだろうと思う。
もしかしたら、全く別人になっているかもしれない。
それはそれで面白いなと思う。
LINEに登録したH君のアイコンはしっかりまだ残っている。
たまには連絡しようかな?と思ったりしてみたが、
恐らく私から連絡をすることはない。
オチもない。



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