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三章(6)学内騒乱・会長推薦問題

2年に入ってから、学内だけでなく、寮内でもあちこちで騒がしさが目立つようになった。〈日米安保条約〉に関して、社会学部や歴史学部の人たち、それ以外に、他の大学との連絡を取り合っている人たちが、いくつかのセクト(分派)に分れて、一般の学生を誘い込もうと、自分たちの部隊を広げようと、奪い合いのように誘う活動をしていたのだ。オルグと言う言葉を初めて知った。

そうなると、M・Yは私を引きこもうと、今度は目的を持って声をかけてきた。私には条約そのものが理解しがたいことで、何が問題なのかがわかっていなかった。新聞を読んでも、わかりにくい。日米安保条約の内容が、どんなものかを読み取れていなかったから。

Mがどこまで解っているのかどうかは、つかめなかった。肝心な内容のことを話してくれたことはない。ただ感情的に政府のやり方をけなすが、では どうすればよいのか、という意見が言えるわけではないのは、私とどっち こっちだった。私はただ戦争に繋がることには、絶対に反対しようと思っていた。引揚げ者としての帰国後の苦労も、身に沁みて知っているのだから。

そのうちにMは、学生会の会長に立候補すると名乗りを上げた。これが彼女の言っていた「時が来れば動き出す」という高校の時から、そのつもりでいたことだったのだ。他にも立候補者は2人いた。

全生徒の前で、立候補挨拶をして、会長になりたい理由を述べる日が近づくと、Mは私に〈応援演説〉をしてほしい、と頼みに来た。私は断った。そんな勇気はないし、そんな体力もないから、他の元気な人にお願いして、と 言い添えて。何度も頼まれたが、私は首を振り続けた。

本音を言えば、Mほど会長に相応しくない人はない、と私は強くそう思っていたのだ。そう思う自分が引き受けるわけにはいかない。私が本音を皆の前でしゃべってしまえば、Mを貶めることになり、完全に敗北させることは 目に見えているのだから。思ってもいないおべんちゃらは言えない。これ までの彼女とN・Iの言動で、尊敬の思いは持てなかったのだ。

一番の問題は、彼女が公言していた〈一般の人・学生・庶民〉を見下し、 バカにしている点だった。あいつらは何もわかっちゃいないくせに、と口に出して軽蔑していた。理性的ではなく、感情に走り、すぐカッとなる。理論的に相手を説得できる度量も優しさもない。つまり、聞く耳を持たない人 だった。私が思い描く〈会長〉たる人の真反対の人物を、推薦などできる わけはない。美点を上げるとしたら、情熱の激しさ、素直さも時にあって、家族や気に入ってる人については、熱意をこめて褒め称える点は、感動したほど認めていたのだけど・・。。

立候補挨拶の日、私は集会に加わらず、アルバイトに出かけた。彼女は誰かに推薦を頼んだのだろう。彼女自身の情熱的演説のせいもあったのか、数日後の選挙の結果、彼女が会長に当選となっていた。

彼女は上機嫌で、私が断ったことなどは忘れたみたいに、私に言いたいことを言う、以前の関係に戻った。時々は、打ち解けた話もしてくれたりする。ある時彼女は、高校の頃からの恋人に、初めての接吻をされた。彼女は倒れんばかりにガタガタ震えて止まらなくて、ミットモナイネエ、と笑って話してくれた。その彼と別れる,と言い出した。どうして彼の愛を疑うの?と訊くと「経験者でなきゃ、わからないわ」ですって。

私はこの時彼女に初めて、自分の身内の話をした。長兄が結核療養所で知り合った、年上で瞳も肌も美しい小柄な人と結婚して、一生愛し続けると思うよ、と。「いいわね、その話。男の人は肉体的なことばかり考えてる訳じゃ ないよね」と感激していた。そしてまもなく、お相手に別れを持ち出すのはやめたの、と言って微笑んだのだった。

情熱と気まぐれと純情さと、高慢ちきと、複雑な面を見せる人だ。私の中にもある一面なのかも。高校の頃までの私の姿を思い出すと・・親近感を少し持てた気がした。

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