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五章(6)M・Nの不実に怒り爆発

年も明けて1月の20日過ぎだった。廊下をけたたましいスリッパの音を 立てて、駆けて来て、私の部屋をノックした人がいた。扉を開けると、1年の後期に同室で、同クラスでもあった、外出好きで有名人好きのM・Nだった。

「お願い!あたし、熱が高くて、流感かも。林さんのカーテンを洗う元気も、時間もなくて、クリーニングに出しても遅すぎて、林さんが帰る日に 間に合わないの。お願いだから、 代わりに洗濯してもらえない?  この 通りです」
と、彼女は両手を合わせ、私に頭を下げた。同室だった頃、M・Nには、 私が縫い上げたばかりの白い冬物の上衣を、私のいない間にのぞき見したらしく、彼女が使っていた,茶色のファンデーションが、前のボタンの近くに、指の形にべっとりと塗りつけられたことがあり、あなたねと問い詰めても、知らん顔されてから、信用しなくなっていた。同室のA・Tさんも私もすっぴんで、化粧しているのは、彼女しかいなかったのだから。

「流感になる前に、すませておけばよかったじゃないの。時間はたっぷり あったでしょ」と私。

「だって、いろいろ忙しかったのよ。林さんが明日、名古屋から帰ってくるのを、今、気がついたの。カレンダーに印つけといたのに。ねえ、お願いよお願い!」

私はちょうど読みかけていたエミリー・ディキンソンの詩に、心打たれて いた時だったので〈人のために何かできる〉のは良いことだ、と思い直してうなずいた。

下級生が、同列の卒業間近い上級生のカーテンを洗うことは、毎年引き継がれている、寮の伝統だった。

厚地の重たい、薄緑のカーテンを2枚受け取り、石鹸と手ぬぐい、ワセリンも持って、私はすぐに地下室へ向かった。日は短いし、乾くまでに時間が かかりそうで、急いで仕上げたかった。湯の出る水道ではなく、私はひどい荒れ性だから、洗濯が一番苦手で嫌いだったが、引き受けた以上、やるしかない。ゴム手袋を買うお金もなかったのだ。前もってワセリンを手に塗っておいて、それから冷たい水にカーテンを押しこみ、石鹸をつけて隅々洗い続け、何度もすすいでから、力をこめて絞り上げた。絞り器つき洗濯機もない寮なのだった。手ぬぐいで丁寧に手をふき終えてから、重いカーテンを裏庭の干し場へ干しに行った。

その日の午後には、吉祥寺の中学生の家庭教師の仕事があり、それをすませ戻ってから干し場へまわってみると、案の定、まだ乾ききってはいなかった。アイロンをかけるしかないと思い、二階の集会室へカーテンを運んで、アイロンかけに力と時間を取られ、疲れきってもいた。でも、きちんと四角にたたみ上げると、自分でもよくやった、と言いたくなるほどきれいな仕上がりになって、嬉しくなった。

それを持ってM・Nの部屋へ行ってみると、中から笑い声が聞こえてきた。見舞いの人が集まってるのかと思いつつ、私が入って行くと、彼女はベッドに座り、小さいテーブルを囲んで、同じ列の4人でトランプをやっていた。私は一気にガアッと怒りが頭にきて、カーテンを彼女目がけてぶん投げた。

「流感かも、って言ったのだれ?そんな風に遊べるのなら、自分でカーテンを洗いなさいよ。私の手を見てっ!」
と、叫んで、ワセリンを塗っても、アカギレの血がにじむ両手を突きつけて見せた。皆の視線が集まったが、私は後も見ないで、部屋を飛び出した。 トランプは吹っ飛んで、彼女が言い訳を始めていたけど、聞く気にもなれなかった。私の手は水の冷たさと石鹸のせいで、痛みは続いていたのだから。その日のことを,日記に記すことで、怒りを静めようとつとめた。あんな ふうに、怒りを露わにするなんて、大人げないわと反省もしたが、彼女が 謝りに来ることはなかった。

私の胸の底には、中学生の頃と同じ、爆弾が隠れているんだ。何かの拍子で我慢ならなくなると、やせっぽちでチビの超低血圧のくせに、今でも爆発するんだ、と改めてそんな自分に気づき、自分を見直したのだった。とっくに抑えられるようになって、穏やかで大人しい大人になっているつもりだったのに・・。でも、怒れる、ことも必要だし、大事だし、なあなあで終らせたらいけないことだって、あると思う、と強くそう思った。

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