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6-(2) 困る、ううごっちゃ

マリ子がとなりの井戸から水を運んでいると、おとうさんが台所に顔を  みせた。

「さっき大家が来てのう。今夜、八幡さまの社務所で村の衆の会議が   あるんじゃと。その議長を頼まれてしもうたちこ・・」

おとうさんは実に困った、という口ぶりだ。マリ子にはすぐに察しが   ついた。

「ううごっちゃ。わしにとっちゃ」

ほら、言った。そうくると思った。マリ子はクスッと笑った。お父さんの 口ぐせだ。大きな体で、その言葉を言うたびに、マリ子は吹き出さずには いられない。

〈おおごとだ、たいへんだ〉という意味なのだって、おかあさんが教えて      くれたことがある。何が、って? そういう時は、出席者は、お酒を飲まされるに決まっているからだ。

とりわけ、おとうさんにとっては、引っ越して来て初めての〈寄り合い〉に出席することになるのだから。

マリ子は助け船を出した。
「うちがついてってもええよ」

さいわいなことに、おかあさんは留守だった。瀬戸のおじいさんが急に  寝こんだ、と知らせがあって、おかあさんは朝から看病に出かけていた。 まだ道を瀬戸まで自転車では走れないので、お兄ちゃんに自転車にのせて もらって、出かけたのだ。

おかあさんが留守でもなければ、そんなことはできない。おとなばかりの お酒の席へ、マリ子が出るなんて、あのおかあさんが認めてくれるはずないもの。

「マリ子が来てくれりゃ、助かるちこ」
おとうさんは、ほっとした顔になった。

「へでも、なんで、わくぐりの日に?」
「この地区に、水道がしかれるんじゃそうな。せぇで祭が終るころに、  みんなで寄りおうて、金の出し方を話し合うらしいがのう。マリ子にゃ、 悪いのう」
「ええて、ええて」
マリ子は気軽にうけ合った。お父さんのためだもの。

おとうさんは1滴も飲めないのに、酒の席で断っても断ってもむりやり  飲まされて、何度かひどい目にあっていた。
 
とりわけ、去年の秋の場合は最悪だった。

その日もほんの少しの酒で気分が悪くなって、おとうさんは高校から帰る途中の、河原の草の上で休んだ。すこし眠りこんで、気がついてみたら、土手に置いた自転車から、カバンを盗まれていたのだ。カバンの中には、間の悪いことに、生徒たちの中間考査の答案用紙が入っていた。

マリ子はその日のことはよく覚えて居る。
自転車を引いて帰って来た青い顔のお父さんを見て、おかあさんとマリ子と2人で、その河原までかばんを探しに行った。懐中電灯で草むらをずっと探し続けたが、どこにも見つからなかった。

おとうさんは警察へ行ったり、学校に事情を話して再試験の話も出たり、 あのころは大変な思いをしたらしい。2日後に、捨てられていたかばんが           見つかった、と警察から知らせが来た。財布はぬかれていたが、答案用紙は無事だった。それでも、おとうさんの落ち込みは、なかなか元へもどらず、おとうさんは前にもまして、酒を断ることに苦労しているのだった。

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