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五章(2)北海道への旅

2年の末に寮を出て下宿住まいで、時々電話代を借りに来るM・Yさんに 招待され、3年生の夏休みの8月初め頃に、北海道への旅をすることができた。この時、倉敷へ帰っていた私が、初めて遠い旅行をするというので、父や兄が小遣いをくれたばかりか、母が岡山名物の「白桃」を、M・Yの自宅のある函館へ、先に送り出してくれた。母に頭を下げて、有り難うと言えたのも嬉しい事だった。

私は倉敷駅から東京行きに乗り、東京から青森行きの列車に乗りかえた。 関西の方では〈新幹線〉が動き始めて間もない時期だったが、東京以北へ 向かうには、窓から煤煙が絶えず流れこむ、古い列車のままだった。

青森に着く頃には、顔も頭も身体も、煤だらけになっている気がした。青函連絡船に乗る前に、駅近くの銭湯へ行き、身体中を洗って、清潔にしてから船に乗った。一般の人がたくさん乗っていて、座席にではなく、床に思い思いに仲間同士でかたまって座っていた。
ひとりでいる私の近くで、数人の青年たちが話し合っているのだが、私にはまったくわからない言葉だった。

そのうちひとりが私に気づいて、声をかけて来た。
「ねぇちゃん、俺っちのしゃべってるの、わかっぺか?」
それだけはわかったので、頭を振ると、皆がどっと笑った。
「だろな、こいが秋田弁ちゃ」
そう言っただけで、話の内容の説明はしてくれず、皆は元通り秋田弁で話し続けた。
こんなにも言葉って違うのだ、と狭い日本の広がりを思った。


函館駅で彼女が待ちかねていて、会うなり「モモって、あんなに白いのね。きれいで家中で驚いてたの。珍しいものをありがとね」

家に着くとご両親と弟さんに紹介された。家までのバスの中でも、見える人たちが皆、肌が白くて、日焼けしている人を見かけなかった。私は自分の肌が浅黒く思え、自分が南の住民なのだと自覚した。北国では太陽の光が弱いのだろうかとも思った。

彼女の弟さんの色の白さにも驚いてしまった。彼女は父や母をとても尊敬しているのを、寮で私に話してくれていたが、おうちでの態度にもそれが表れていて、大学内や寮内で見せていた、人を見下したり偉ぶった物言いとは、別人のようだった。家での彼女が本来の彼女の姿なのだと思えた。

ご両親にも白桃を珍しがってお礼を言われ、母が送ってくれてよかったと 思えた。夜はご馳走をして下さった。函館は〈イカそうめん〉が名物で、 毎日食べるくらいなのだって。

北海道の朝夕は8月というのに、寒いほどだった。私は夏服しか持っていなかったので、カーデガンを借りたりした。いっしょに町を歩いたり、夜に 函館の町の夜景を見るために、丘の上まで登ったりした。広い湖を小舟を こいで楽しんだりもした。

その後、ひとりで札幌まで出かけるつもりで、バスに乗った。バス内から見る広い広い畑のつながりや、ちょっとした滝も見たが、何もかもスケールが大きいことに、目を見張った。岡山だったら、こんなに大きな滝なら、名所となるだろうに、と思える無名の場所が、あちこちにあった。

昭和新山とも言われる有珠山 (うすざん) の裾野でバスを降りて、見学も  した。手頃な宿屋に一泊して、翌日も周辺をバスを乗り継いで、見学して回り、夕方には函館の彼女の家に帰ることにして、札幌行きは諦めた。   見るところが多すぎて、時間が足りない。お小遣いくらいのお金では、もっと足りないと思えたのだ。

「北海道は広くて、何でもスケールが大きい、ってよくわかったわ。楽し かった、お招きありがとうね」と彼女に言い、ご家族にもお礼を言って、 お別れしたのだった。
北海道のほんの一部を見ただけだったので、いつか北海道一周旅行をしてみたい、というずっと先の夢を描いてみたりもしたが、素のM・Yと知り合いになれたことが、何より嬉しかった旅だった。

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