見出し画像

14-(6) ドキドキの出番前

背景の大きな絵は、みごとに3枚仕上がった。1組と2組の男子学級委員を中心に、10人ほどで取り組んだのだ。

1枚目は大きく開かれた窓の外に、星の散らばる夜の空が広がっている。 窓の内側には、クマのぬいぐるみや、本が重ねてある。

2枚目はネバーランドの岩場だ。左には人魚のいる入り江や、岩場があり。右の方には、地下のかくれ家のある大きな木がある。

3枚目は海賊船の船の上だった。ドクロマークの帆や、綱やかじが大きく力強く描かれていた。

「ええぞ、よう描けた。りっぱなもんじゃ」

金子先生はほれぼれと眺めている。横山和也は顔を赤くして喜んでいた。 田中先生はめったにほめることをしない人だった、とマリ子はあらためて 気づいた。


ついにその当日がやってきた。おかあさんはプログラムをまた取り出して、きっぱりと言った。

「マリちゃんの出番はぜったい見るけんね。うちの学校の方は、早引けさせてもらうよう、もう頼んであるけん。午後の3番目じゃね」

それから、おかあさんはマリ子に、朝からピーター・パンの服を着せた。
「このぶかぶかのセーターと、ズボンをぬいだら、すぐに舞台に上がれる けんね。背中のファスナーも、タイツのしわも、ほら、ちゃんとしとるよ。帽子を忘れんように、かばんに入れときんさい」

「わかった、わかった」

マリ子はその帽子を無造作にかばんにつっこんだ。

「あ、マリ子、もう一度その帽子をかぶってみせて」

おかあさんは、その帽子にも工夫をこらしたのだった。金色のカールした 髪の毛に似せて、毛糸のループがたくさんはみ出ている。

「あんたの黒い髪を見せんように、気をつけてかぶるんよ。ほら、こんな ぐあいに」

鏡の中のマリ子は、いつものまっすぐな黒髪おかっぱから、くるくると巻き毛いっぱいのふくらんだ頭に変わっていた。服の方は、すとんとしたチョッキの下に、焦げ茶にそめたタイツ姿だ。チョッキのすそは、ぎざぎざに切りこみがあって、自然児らしく見える。

マリ子が寒くないように、それでいて、ピーター・パンらしく見えるように、とおかあさんの苦心の作だった。おかあさんは満足そうににこにこしている。

「ほうら、笑って、笑って。ピーター・パンは永遠の子どもじゃけんね。 つらいことでもなんでも、すぐ忘れてしまう子どもなんよ。舞台の上で失敗しても、けろっとして笑うとええんよ」

ふうん、そんなんだ。つられて、にいっと笑ってみたら、マリ子は少し気がらくになった。


〈お別れ会〉の会場は、満員だった。もちろん6年生が舞台の前の、最前列に並んでいた。卒業のお祝いでもあるからだ。そのうしろやまわりを囲む ように、村の人たちと下級生たちが、思い思いに座っていた。

踊りや合唱、独唱、合奏や劇などが、つぎつぎに披露された。校長先生の太郎人形を抱えての〈腹話術〉は、たいへんな人気だった。男の先生達の合唱もあった。いよいよ午後の3番目、マリ子たちのピーター・パンの出番と なった。

横山和也たちが、背景の絵をはりつけたり、ベッドとなるとび箱をいくつも運んでいる。

舞台のはしのマイクの前には、三上裕子が台本を手に立っていた。マリ子はそのわきに首を出して、閉じた幕を寄せて、そっと会場をのぞいて見た。 むっと人いきれが押しよせてきた。

土曜の午後とあって、すぐとなりにある中学の生徒たちがわりこんでいて、ますます超満員になっていた。空いているのは、舞台のすぐ下の3メートルほどだけ、ロープがゆるい半円に張られて、そこだけすきまになっていた。まだ明かりのついている会場の、あちこちに知っている顔が見えた。

あ、お兄ちゃんだ。ロープのすぐ向こうの最前列に座っている。あれ、西浦の人の顔も見える! あそこにも、こっちにも。岡田のおっちゃんまで来てる! 家主の川上のおっちゃんのそばには、正太さんもいる。竹次さんが ひざに娘を乗せて、こっちを見てる。なんだかドキドキしてきた。    おかあさんはもう来てるかな・・。

先生たちの座っているかべぎわに目を移して、マリ子ははっとした。   田中先生だ! 退院したことは、きのう金子先生からきかされていた。その退院したばかりの身体で、4年生の出番に間に合うようにかけつけたのだ。

マリ子は裕子のうでをつついて、知らせた。

「やせて、小そうなったみたいな・・」
裕子がつぶやいた。

そういえば、ほんとにそうだ。もうどなる力などなくしているように見える。
マリ子の胸に初めて〈かわいそう〉という思いがうかんだ。そういえば、この1年間、田中先生にとっては、4年2組の実にたいへんなクラスを相手に、苦労したあげくの入院だったのかもしれない。

マリ子もその原因のひとりだったのでは? そうよ、マリ子が毛嫌いした せいで、先生を悩ませてしまったのかも! そのことに初めて思いいたって、目の色が変わるのを感じた。胸のドキドキがいっそう強くなった。

「しまいまで、しゃんとやって見せような」
裕子がささやいた。マリ子はうなずいたが、ドキドキが高まって、胸がつまったような感じがした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?