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6章-(6) 姉妹のお披露目

かよの新しいへやには、花模様のふとんが2つ並べてあって、枕元に寝間着用の着物が置かれていた。かよはおキヌさんに言った。

「私のせいで、こんなに遅うまでいてくれて、保ちゃんにわりいわ。着がえは自分でしますけん、早う帰って上げて」

おキヌさんはまっすぐにかよを見つめて、心からこう言った。        「かよさんがおかよ様になられるのは、当然の運命じゃと思います。心がけが良うて、人を大事にされて、気配りをようなさる。旦那様がそれを認めて下されて、ほんまにおめでとうごぜぇます。それでは、お休みなせぇませ」

かよが着替えていると、眠っているはずのおつるが、目をぱっちり開けて かよを見上げ、嬉しそうににっこりした。

「おねえちゃん、うれしい、けぇからずっといっしょに眠れるんじゃもん」

かよも急いで、ふとんに入って、おつると手を取り合った。

「うちも嬉しいよ。えかったな。うちは急に言われてまだ夢を見てるみてぇで、明日からどうすればええのか、不安じゃけど。もう寝ような」

手を繋いだまま、2人は眠った。かよは目をつぶりながら、東京から帰って来られる3人の兄となる方たちが気になっていた。これまでも、盆や正月の時には、帰ってこられるとは聞いていたが、かよはそういう時、三の割に戻るため、お会いできたのは、ほんの1,2度くらい、それも台所から、遠目に見かけた程度で、ご挨拶するほどではなかった。 

3男の宗俊には、岡山の中学に通っていた頃、出会うことはよくあったが、かよはおつるの子守の身分なので、宗俊と近々と話をしたことなど、1度もなかったのだ。

そうして、準備の2週間ほどが過ぎ、かよお披露目の当日となった。秋晴れの清々しい朝だった。その日のために、台所には、昔勤めていた下女たちも数人集められて、おキヌさんが中心となって、料理に専念する人たち、玄関で客を迎え、案内する人たち、宴席の世話の人など、分担していた。

作造の妻となったおシズさんも手伝いに来ていて、奥様の着付けをおえると、かよとおつるの晴れの着物の着付けもしてくれた。かよには水色の地に秋の花や楓などが散りばめられた振り袖の着物だった。かよの母ちよの親友だった、今は亡き糸様の着物だったそうだ。おつるは桃色の地に、花模様の愛らしい着物で、これも亡き優美さまの形見だった。

白神家の親戚の人たち、商工会議所の同僚の人たち、おくさまの女学校時代の友人たちと、この家の3人の息子たちなど、40人を超える方たちが、座敷3つをぶちぬきにして、並んでいた。三の割の余平一家とじいちゃん一家は、末席に慎ましく座っていた。

みさがこの日のために、余平とうちゃんと、夫のカズオととめ吉とすえの ために、新しく縫い上げた着物を着せ、自分は嫁入りの時に着た着物ですませていた。新しい布が買えたのは、かよが三の割に戻るたび、フミおくさまが下さった〈ごほうびの5円〉が貯まっていたお蔭だった。  

座敷の床の間を背に、屏風が立てられ、その前に旦那様とおくさまが座り、その両脇にかよとつるが席について、いよいよ会は始まった。かよたちの前にも、お客さまの前にも、それぞれにご馳走と酒や飲み物が並べられ、酒の相手係の下女たちも、廊下で待機していた。

旦那様はこんな話をされた。

「今日は遠い所を、ご列席頂き、誠に有り難く存じております。私どもの新しく身内となる娘たちの披露に、ご参加下さって、光栄に存じます。私どもには娘が3人おったのですが、長女は出産時に亡くなり、次女と3女は、あの大洪水の折に、7歳と5歳の幼さで亡くしてしもうて、寂しう嘆いておりましたが、このたび、ご縁があって、帯江の須山様の縁につながる、こちらのかよと、つるを、我が娘として、すでに役所に届けをすませております。こちらのかよですが、うちへ来ました5年前から、うちの片隅にあった、古い水神さまのほこらを、1日も欠かさず手入れし、水と花を供え、あの台風の日も濡れながら、祈りを続けてくれておりました。水の神を祭ることが、洪水や渇水にも大事なことなのだと、私も教わった思いがしたものです。

かよは15歳、つるはまだ5歳の、これから学ぶべきことが多い年頃ですが、皆様のお導きを得まして、無事育っていきますよう、どうか見守って 頂きたく存じます。粗餐ですがしばらく談笑くださって、共に祝って下さいますようお願い申し上げます」

皆が割れるような拍手をした。旦那様の合図で、かよは立ち上がり深々と おじぎをし、おつるも同じように立ち上がり、にこっとしておじぎをした。

また、拍手が大きく起こった。

「目出てぇのう。ほんにかえらしい子らじゃ。洋造さんはええ縁があって、えかったのう」
と、親戚代表らしい人がいうと、皆うなずいたり、拍手したりしている。

かよとつるの前に、次々に、挨拶にやってきて、声をかけてくれた。

かよたちの兄となった3人も、順にやってきて挨拶を交わした。夕べのうちに、すでに顔合わせは済んでいたのだが、親戚の人たちの手前もあり、挨拶の声をかけに寄ってきたのだ。長兄の勇造はいずれ議員になりそうな恰幅の良さで、次男の祥造は、銀行員らしい細身のキビキビした風貌だ。2人とも、東京の言葉ではっきりと、「家族として末永くよろしく。両親をよろしく」と短く言って、にっこりしてくれた。

3男の宗俊は、中学生の頃、かよと赤ん坊を見ていたので、懐かしそうに、しげしげと見つめて言った。                     「大きうなったのう。こげんに美しうなるとは!東京にも、めったにおらんくれぇじゃ」
と、言いながら赤くなっている。酒のせいかもしれなかったが。  

宴会は3時を過ぎた頃、お開きとなって、お偉い方々や親類筋は、土産の品を抱え、人力車に乗って帰って行かれた。旦那様とおくさまは、玄関までお見送りをされた。

最後に残った、余平たちとじいちゃんたちが、その間に、かよとおつるに別れの挨拶を言いに来た。じいちゃんが言った。            「名前は変わることになるが、わしらは皆一族で、血はつながっておるん じゃ。そのこと忘れず、この家で恥ずかしうねぇよう、生きていきゃええ。わしらぁ、同じ屋敷内じゃしのう」

余平とうちゃんはそれ以上口添えせず、父親の言葉に何度もうなずいていた。

みさは「三の割に里帰りするのん、楽しみに待っとるけんね」と、言い、 とめ吉やすえもうんうんうなずいて、にこにこしていた。あんちゃんだけが、感無量の顔で、何も言えないでいた。

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