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6章-(8)幽霊話続き・ロンドンへ

◎もうひとつは「クリスマスの馬車」の幽霊。18世紀後半、多くの若者に戦争熱を吹き込んで、軍隊に加入させた。この地方の2人の親友、テディ・ハリッジとネッド・テイラーも海軍に加わった。その後の戦闘で、ハリッジは無傷だったが、テイラーは瀕死の重傷を負い、まもなく死んだ。ハリッジはクリスマス休暇で帰郷することになった。

クリスマス・イブの午後、ハリッジはサイレンスターの馬車に乗り、バイブリーに向かった。クゥエリー・ヒルにさしかかると、前方の道路を青ざめた行列が横切っているのが見えた。先頭には、白い雄牛を従えた青白い女性(ジュリアナ)、その後からアーリントン水車場の灰色レディと、いくつかのさまよえる魂たち、その最後に軍服を着たネッド・テイラーの姿があった。

その時、馬車を引く馬たちが後ろ足で立ち、激しく幽霊たちを目がけて突進した。丘を駆け下ると、水車用の川につっこみ、馬車はひっくり返ってしまった。御者は圧死したが、ハリッジは運良く生き残り、ようやくの思いで ミッドランドの家にたどり着いた。クリスマスイブのたびに、クウェリー・ヒルを馬車が駆け下る音が聞こえるが、決して水車用水路の対岸までは達しない、と言われている。

◆◆ 帰国後に気づいたのだが、チャッツワースやウイングフィールド、アランデル城などは、王につながる「為政者側」の歴史を残す史跡だった。ところが、バイブリーはその反対に、王や領主に支配される「庶民の側」の歴史を刻む土地だったのだ。

ここが教会領地として、農耕、牧畜を中心の農民達の村であったため、旧教ゆえに教会がぶち壊され、方向転換を強いられれば、農民たちはもろにその被害をかぶらずにはいなかった。ちょうど日本で農民一揆が盛んであった ように、ここでも抵抗した人々がいて、オーストラリアに流されたと知って、深い感慨を覚えた。

◆ 幽霊話が語り継がれているのも、民衆の側の強い愛惜の思いからだと思う。教会に遺産税を払わずに永遠にさまよう寡婦への情、若い後妻の自然のなりゆきとも思える恋と、その哀しい結末への情、それから戦争のために引き裂かれた青年の友情と、若くして落した命への情が根底にある。それらはあの実際的で現実的で、シニカルな面も強いイギリス人達も、心底では私たちとよく似た感情の持ち主だと教えてくれる。


●2:00  ホテル出発、ロンドンへ。バスの中で、外は雨になってきたのがわかった。

Tさんから「だんろの会」の人達には、60£(=約1.5万円)の返金があった。

Oxford の町やチャーチルの住まいであった Blenheim Palace の近くを通りながら、バスはロンドンの北西から入った。人口約800万人。

● ロンドンは大きく2つに分けられ、東は金融の中心地「シティ」で、そこから 2マイル西に離れた「ウェストミンスター」が、政治と文化の中心。交通機関は発達していて、地下鉄 (tube) が縦横に走っている。町を行くタクシーは黒塗りが伝統だったが、最近はえんじ色、白その他が出て来ている。タクシーに乗るには、専用のタクシー乗り場に行くべし、と教わる。

●「ホワイトホテル」着。ここはリージェント・パークの近くにあり、ビジネスホテル風のアメリカンスタイルだった。へやには湯沸かしなし。今夜からNさんと同室だ。

Nさんはおっとりして『小さいお嬢様のバラ』のお話のように、お嬢さま 育ち。「おひめさま」のお話ならNさんにぴったりであることは「だんろの会」では周知のことだが、実はとてもしっかりしていて、あの人に任せたら安心、と誰にも信頼されている、長年の会計係なのだと、この旅で私はあらためて知った。

時間は少しかかる人だが、とても正確できっちりしている。それに昔の花嫁修業のお蔭で「花道、茶道、習字」の他に「洋裁」も習得されていたと知り、能ある鷹は爪を隠すものかと肝に銘じた。もっと他にも何かを隠してるのかも。

● 5:30 Sさん、Nさんと私と3人で、リージェント・ストリートへ出かけることにしたが、3人共にひどい方向音痴であるため、数人に尋ねても辿り着けず、元の宿近くに戻ってしまった。やっぱり!情けない!

通りかかった中年婦人が、親切に流しのタクシーを止めてくれたので、まっすぐに『リバティ』の店の前で止めてもらい、閉店30分前の店へ飛びこんだ。スカートと布地など買う。Sさんも土産のワンピースを手に入れた。

すっかりお腹がすいて、通りがかりのイタリー料理店で食事。大変おいしかった。3人で28.50£で30ポンド支払った。帰りは Oxford Circus まで歩き、それから再び流しのタクシーを拾ってホテルへ。刺青がシャツの下に見えていたが、親切そのものの運転手だった。冒険した気分!

● Oさん達は『キャッツ』のミュージカルを見に行った由。
「花かご」「花束」の人達は、吉松氏の案内でリージェント通りの方へ買物に出たそうな。
実は最初、その人達からロンドンでは、私についてきてほしい、とフットパスを歩いていた頃から声をかけられていたのだが、私の方向音痴ときたら、手当てのしようもないほどなのを自認しているので、H先生を通して、吉松氏に担当してもらうことにしたのだった。

私ときたら。東京でも立ち往生して、泣きたくなるのはしょっちゅうなので、こちらかな、と思った反対方向へ行くことにしてるくらい、諦めと開き直りの境地なのだから、私が誰かを引っ張って行くなんて!

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