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13-(3) 開演まで

駅裏にまわると、楽隊の音が聞こえてきた。大きなテントのてっぺんに、 しましまの旗がひるがえっている。人がつぎからつぎへと、入り口にすい こまれていく。

マリ子は切符をにぎって、列に加わった。台のむこうでピエロ姿の人が、 切符を受け取って、おどけたように目をキロキロさせた。口は大きく耳の 近くまで笑って描かれていて、ダブダブの黄色と黒のたてじまの服に、赤いとんがり帽子とまん丸の赤い鼻は、それだけでもおかしい。

テントの中に入ると、つきあたりに広い舞台があって、その手前には、はばの広い〈あみ〉が両側の天井に届くまで、はりめぐらしてあった。

観客席はその手前に並べたいすだった。開演までにまだ40分ほどはあるのに、もう3分の2くらいは埋まっている。

おかあさんを先頭に通路を進んでいると、両側のあちこちから、声がとんできた。
「戸田先生じゃ! せんせい!」

おかあさんは駅に近い益田小学校につとめているので、ここは学区内なのだ。ひらひらと手をふって、来ているのを知らせるこどもたちに、おかあ さんはひとりひとり目をとめて、手をふりかえして笑顔でうなずいた。その子どものそばには、それぞれ家族がつきそっていて、おかあさんにあいさつを送っている。

その姿を見ていた正太が、マリ子のすぐうしろで、お兄ちゃんの耳にささやいた。

「ええのう、先生の仕事は・・」

「好かれんと、いけんの」

マリ子はほこらしい思いで口出しした。もちろん、自分のクラスの田中先生の顔がかすめたのだ。

2列目に2つ、そのうしろの3列目にも2つ空席を見つけて、お兄ちゃんと正太は前の席に、マリ子はおかあさんとそのうしろに座ることになった。

おかあさんは席に着くとすぐに、男の子たちをつついて、後ろをむかせた。
「帰るまでにおなかがすくけん、いまのうちにおなかに入れときんさい」

おかあさんはふくらんだ手さげぶくろの中から、手品みたいに焼きおにぎりを取り出して配った。いつの間に入れたのか、マリ子には覚えの無い2段重ねの重箱がふくろから出てきた。

「いつ作ったん?」

マリ子はびっくりだ。おかあさんはつとめから帰った時、ズボンをスカートにはきかえる時間しかなかったのだから。

「夕べのうちにほとんどすませて、朝、仕上げをして、おとうさんの分は、戸だなに置いてきたんよ。いつじゃって、出かけたりする時は、少し先の ことを考えて、段取りよくしとくんよ」

正太はおにぎりをほおばりながら、感心している。

おかあさんが重箱のふたを開けると、正太はうぉっと叫んで、ごはんつぶを口からとばした。
「すげぇ。リンゴがうさぎになっとる。ようかんもうまそう!」

マリ子はまたほこらしくなる。おかあさんの重箱には、ほうれんそうの卵焼き巻き、シイタケとニンジン、サトイモの煮物、酢レンコン、サケの蒸し物、こぶ巻き、かまぼこなどが彩りよくつめこまれ、いっそう華やかさを そえていた。楊枝がなん本もさしてあって、取りやすいのもお母さんの工夫だった。

まわりの人たちも、思い思いに太巻きずしやおいなりさんの弁当を広げて いる。中には駅の近くのきむら屋のパンをかじっている人もいた。

ふたつの重箱が空になって、満足のため息が出るころ、ようやくジャーン、というシンバルの音とともに、音楽が始まった。みんなの目がいっせいに 舞台に向かった。

おっきなピエロが、巨大なボールを転がしながら、舞台に飛び出してきた。そのうしろから、ひょこたん、ひょこたん、肩をゆらして、小がらなピエロが追ってきた。黄色に黒のしま服は、入り口で券を受け取っていた人だ。 ダブダブズボンの下は、義足をはめているらしく、動くたびにコツコツと、音がしている。

一輪車に乗った女の人たちが、さあっと舞台全体に散って、2人のピエロとボールの間を、すいすいと走りぬける。いよいよサーカスの始まりだった。

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