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(5) もう一度ピアノを

銀行へ、外へ出なくてはと思い立ったとき、その時、ほんとうに、ピアノにカギをかけてしまったの。もう泣いてはいられない、と強く思ってね。

初めて町へ出た日の怖ろしかったこと! 目あきが見えなくなった時の一番の不安は、耳の感覚にどれだけ頼れるか、ということ。耳をすまし、手探りして、時々人にきいたりもして、なんとか銀行にたどりつけた。

基地での給料が、その銀行にずいぶん残っていたおかげで、それから2年間、学校に通って、マッサージ師の資格を取ることができたの。

そして気づいたことは、あの戦争のせいで、今もなお痛みを引きずっている人が、どんなに多いかということだった。自分だけではなかったのね。

私にマッサージを頼んでくださるどの方にも、何かの哀しいドラマがあった。原爆症で寝たきりの人や、脚を亡くした人の治療をした時、その人たちが、反戦運動に命をかけていることも知った。どんな小さな、つまらなそうに見える命でも、活かし方で、大きく生きることができることも学んだわ。この仕事をしていると、有り難いことに、いろんな人に出会えて、世界が広がっていく気がしている。

あなたのピアノを聞いていると、今まで長いこと、美しいものを避けてきたのは、間違いだったと、今日気づいたの。せっかく生き残った命ですもの。どんなに小さいことでも、楽しいこと、嬉しい事、美しいものをなるべく たくさん見つけて、触れて楽しまなくてはとね。

それに、新しい幸せをつかんでいる人たちが、生まれていることもわかってきたの、あなたたちの幸福が本物で、一生つづくよう祈っているわ。

苦しみは、わたしたちだけで、もうたくさん!」

そのひと、斉藤雪子さんは、強い調子でそう言い切った。それから芳子の 手をゆすって、せがんだ。

「ね、もう一度、聞かせてくださいな」

芳子は、その人の話の重さに打ちひしがれていたけれど、ただうなずいた。

もう一度、ピアノの前にすわった。

ンタラッタラッタ ンタラッタラッタ
リラリラリラリン

弾き始めたが、同じ旋律なのに、まるで魔法が消えてしまったように、あのおおらかなアルプスの青空は、広がってはこなかった。芳子の胸はふさがり、もの悲しいひびきに聞こえるのは、半音狂ってるかも、と雪子が言っていた、あのせいだろうか。

けわしい山を登り詰めると、目のさめるようなながめが開ける。私の幸福は、山の上からのながめ。いばらを越え、私をここまで運んでくれたのは、この人やママたち。もくもくと苦しみに耐え、私の今のしあわせを支えて くれていたのだ。

ママ! 目を伏せたママの姿が、ふいに浮かび上がった。よそのおじいさんのために、オムツを縫っていたママ。東京大空襲で、ママが両親や兄姉を亡くしたのは、2歳の時だったそうだ。たまたまその時、ママははしかの兄姉を避けて、茨城のおじさん宅に預けられていて、ただひとり生き残り、大人になるまで、おじさん宅で育てられたという。パパの父も戦病死。芳子は、2人のおじいさんを知らないままだ。

いつだったか、芳子はママに尋ねたことがある。ママ、一度戦争をすると、人は何年悲しむことになるのかしら?

ママは、真剣な目で指を折った。人の命が仮に80歳だとして、25歳の 息子が死ねば、両親は死ぬまでの30年あまり。赤ん坊は80年。死んだ 息子の妻は60年ほど。そして、孫さえもおじいちゃんはどこにいるの、 と訊くだろう。重なり合った年月、少なくとも3世代。早められた死を悼んで、嘆き合う。

アルプスの山村から、なりひびく鐘の音。シャラーン、シャラーン。慰めと癒やしの鐘。未来への愛と希望を告げるはずの鐘。でも、深い哀しみを伴ってもいる。

タラララララリリリン ・・・

曲が終っても、しばらくは2人とも、身動きもしなかった。

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