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13-(1) 招待券 (2月)

夕食のカキなべの仕上げは、ぞうすいと決まっている。おなかいっぱい      つめこんで、最後にマリ子が、満足のため息といっしょにおはしを置く      のを、おかあさんは待っていたように、嬉しそうな声で言った。

「今日はええものを、友だちにゆずってもろうてな」

おかあさんが、つとめ用の黒いバッグの中から、小さな紙を取りだした。

「サーカスの招待券じゃ。2枚で4人行けるんて」
「うわっ、行こ行こ! うちじゅうで、ちょうど行けるが!」

マリ子はすぐに弾んだ声を上げたが、家で本を読んでいたいお兄ちゃんは、そう簡単には乗ってこない。ちらっとおとうさんを見てから、ゆっくり招待券に手を伸ばした。

「キタロサーカスか。2月初めに来るやこ、めずらしいが」
お兄ちゃんのつぶやきに、おとうさんが答えた。

「ここらは旧正月が盛んじゃけん、楽しみに客が大ぜい来るじゃろうし、  雪も風もほとんどないけん、冬でもテントを張れるんじゃちこ」

マリ子はじれったくなって、ふたりに念を押した。

「行くに決まっとろ。土曜日に行けるじゃろ?」
「わしは行かれん。当分だめじゃちこ」

おとうさんは首をふって、きっぱり言った。おかあさんがうなずいた。
「あのふたり、まだ決まらんのですか?」

「決まらん、て何が?」
マリ子が話にわりこんだ。

「生徒のつとめ先じゃ。卒業式は近えのに、ふたりだけまだなんじゃ。電気店とか工場をまわって、さがしてやらんと・・。もうちぃと成績がよけりゃ、簡単なんじゃが・・。」

おとうさんは今年、工業高校3年生の担任で、就職係なのだ。

「おとうさんが行かんのなら、やめとく」
お兄ちゃんが、券をマリ子に押してよこした。

「弘は行ってこいちこ。正太くんもさそって、いっしょに行けばええ」

おかあさんもそれはいい、と賛成した。正太の家には、毎日井戸を使わせてもらっているので、お礼がわりにもなると言う。

マリ子は正太もいっしょに、サーカスを見られるなんて、盆と正月がいっ しょにきたみたいに、わくわくした。

「ほんなら行ってやるか」
お兄ちゃんは、また券の1枚を引き寄せた。


土曜日の午後、おかあさんが仕事から帰る前に、マリ子は準備をすませて  おいた。おやつと水筒、それから手ぬぐいとちり紙を、おかあさんの手さげぶくろにつめた。

お兄ちゃんは出かけるぎりぎりまで、2階の机にしがみついていた。


いよいよ4人が集まって、バス停に向かおうとした時に、正太がバスに乗るかわりに、 倉敷駅近くまでの3キロの道を歩こう、と言い出した。

「4月初めに学校でマラソン大会があるんじゃ。足ならしになるけん」

マリ子とおかあさんは大さんせいだった。

「うえぇ、中学はマラソンやるんか?」
お兄ちゃんは4月から中学生だから、気になるのだ。

「全校でやるんじゃ。わしは正月から毎朝走っとるで」と正太。
「弘もいっしょに走ればええのに。むりじゃろなぁ。せめて歩くぐらいは  しとかんと」

おかあさんにだめ押しされて、お兄ちゃんは正太と並んで、だまって歩き 出した。そのうしろから、おかあさんが言い足した。
「5時半開演じゃから、時間は充分あるけんな」

地蔵さまのある大クスノキを左に見ながら、火の見やぐらをすぎ、坂道をぐんぐん下って行く。すると坂の下の加奈子の家の庭先から、もちつきの音が聞こえてきた。

「ちょっとおせえもちつきじゃのう」

正太がふしぎがった。旧正月のもちつきは、1月の20日頃にはすませて、1年分の保存食のカキモチを作っておくのだ。

マリ子が門のうちをのぞくと、ちょうど加奈子と目が合った。そばに寺の  静江もいる。

「町へ行くん、マリちゃん?」
加奈子が白い粉まみれの手をふりながら、入り口までやってきた。静江も  気がついて追ってきた。

「あ、サーカスじゃろ。うちら夕べ静ちゃんのお兄さんと行ったんよ。な、静ちゃん」

「どれが一番おもしれかった?」
マリ子が静江に聞いた。

「どれも、すげえよ。けど、オートバイが玉の中をぐるぐる走るのが、一番じゃった。」

「うちは、空中サーカスじゃ。目ぇつぶってしもうたぐれえ、ハラハラしたが・・」
と、加奈子がわりこんできた。その目はチロチロと正太たちの後を追って  いる。

ちょっとすねたように、加奈子は口をゆがめて言った。
「うちも今日いっしょに行きゃよかった・・」


           (画像は、蘭紗理かざり作)

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