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1章-(4) へやから食堂へ

「編み物が趣味なの?」
と直子に聞かれて、香織ははにかみながら、うなずいた。

「編んでると、気持ちが休まるの」
「ふうん、そういうものか。編めるなんて、すごいね。あたしはやったこともないわ」

直子の手をかりて、2段ベッドの上の段に、布団をかつぎ上げてもらった。衣類と靴箱とカップとその他細々した品を、クローゼットや小だんすなどに、どうにか押しこんだ。

・・お姉ちゃんなら、顔しかめるな。

姉の沙織は〈整頓魔〉だ。引き出しやクローゼットの棚の品は、真四角に きちんと並べられていて、一目であり場所がわかる。いいかげんな香織は、姉のまねしようと、何度始めてみても、うまく続かない。

ダンボール箱を始末し、ボストンバッグを戸棚に収めた頃、けたたましい ベルの音が、廊下に響いた。

ドアがいっせいに開く音がして、廊下が賑やかになった。

「笹野さんたち、食堂へ行きましょ。貴重品は身につけてね。泥棒がよく 入るの」

と瀬川班長が、ドア越しに言った。

泥棒だって! 直子と顔を見あわせた。香織はあわてて、財布をハンカチにくるんで、腕に縛りつけた。直子はスカートのバンドに、布ポシェットを 下げた。

食堂の中のかしましいこと! 2つの寮の80人もの寮生たちが、10台のテーブルに分かれて、それぞれに1年生への自己紹介を始めていたのだ。

瀬川さんは、あじさい寮側の、各テーブルの班名を説明してくれた。こぶし班、さくら班、けやき班、あかね班と、一番奥がかえで班だった。

班の席は、週ごとに隣の席へと移っていくのだそうだ。台所側に一番近い 右手のテーブルの班が、その週の〈お洗い当番〉といわれる、食事後のテーブルの片づけと、食器を洗って、戸棚へ収めるまでを受け持つ。かえで班は、来週が〈お洗い当番〉になるのらしい。

待っていた上級生たちが、拍手で迎えてくれた。

「4分の遅刻だ、あとでひどい目にあわせるからね」

と、浅黒い肌のきりっとした顔立ちの3年生がおどけて言うと、ほかの4人があわてて打ち消したり、たしなめたりした。

2年生が3人、中山、小田さんと瀬川班長。3年生が3人、藤野、村上さんと、先程おどした渡辺恒美さんで、1年生の香織たちと、計8人がかえで班だった。

他の4つの班は、1年生が3人ずつ入っているのだそうだ。

やがて、チリンとベルの音がして、入り口近くのテーブルから、江元先生が立ち上がった。短い年初の挨拶のあと、食前の祈りを始めた。

先生の祈りに合わせて、上級生たちがいっせいに頭をたれ、目を閉じた。
香織もあわてて同じ姿勢を取った。

先生はすべての恵みへの感謝の祈りを、ていねいに語り継いだ。新入生を 送り出してくれた父母や家族たち、受け入れ準備に携わった上級生たち、 食事を用意してくれた食堂の係の人たち、地下室や庭番、門衛のおじさん たちなど、そして、何より見守って下さる神への感謝を述べ、これから始 まる新学期に備えて、皆の健康を祈って、アーメンと結ぶと、寮生たちも口々にアーメンと唱和した。

その言葉を聞いて、香織は自分がどんなにたくさんの人に守られ、支えられて暮しているかを、改めて身にしみて感じた。これから食事のたびに、こうして感謝の祈りから、1日が始まり、終るのだ。香織にとって、初めての ミッションスクール体験だった。

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