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   3-(3) 大やかん持って

10時になると、田んぼにお茶を運ぶことになった。朝いっぱいにして持って行った大やかんが、昼までもたないのだ。

マリ子は片手で乳母車を押し、片手に番茶をいれた重い大やかんを下げて、あっこちゃんについて行った。寺の階段を過ぎ、竹やぶのそばをすぎ、棚田のわきのあぜ道を、川の方へ向かった。

「おおい!」

左手の田んぼの中から声を上げたのは、野原のしげるだ。一人前に日傭ひようさんたちといっしょに、イグサの束を運んでいる。マリ子は重いやかんを少し持ち上げてこたえた。

(正太さんは? あ、いた!)

しげるの田の1枚向こうの田では、正太が兄たちといっしょに、イグサを 刈っていた。
俊雄は川ぞいの村道を、自転車で家に向かっていた。荷台にやかんを入れた箱を乗せている。みんな手伝いで忙しいのだ。

村道を横切り、橋を渡って2つめの田んぼまで来ると、あっこちゃんが母親を見つけて叫んだ。
「かあちゃん!」

ひさしのついた布帽子をかぶった、林のおばさんが、ちょっと顔を上げて にこっとしたが、鎌を持った手は休めなかった。

あぜ道には、朝持って来た大やかんが、置いてあった。持ち上げてみると、空だった。マリ子はやかんを置きかえた。それから、田んぼの中の作業を 見つめた。こんなに間近に見るのは、初めてだった。

刈り取ったイグサは、田んぼのすみの灰色の水たまりへと運ばれてくる。 1辺が2メートル足らずの細長い水たまりの中で、長靴をはいた林のおじ さんが、手渡されたイグサを、灰色の水に何度もひたす。濃いみどり色の イグサの表面が、薄灰色にそまる。独特の匂いがした。これが畳の匂いの 元らしい。おじさんのシャツの背中は、汗ではりついていた。

4人の日傭さんが順に運んでくるのを、おじさんは休むひまなくひたし、 裏返してまたひたし、たれる水をよく切って、そばで待っている5人目の 日傭さんに手渡す。ぬれたイグサは重そうだった。

渡された日傭さんは、あぜ道に止めてあるリヤカーまで運んで、積み上げていく。

マリ子はあれこれ質問したくてうずうずしたが、おじさんは忙しすぎたし、それに口をきくのが何より苦手そうだった。

「そろそろ行くかのぅ」

おじさんは束をわたしながら、日傭さんに遠慮えんりょしているような声で言った。日傭さんのうちの2人があぜ道へ上がってきた。残りの3人は田の中で手を休めず、濃いみどりにうねっているイグサの波の根本を、鎌でザクッザクッと音を立てて、刈り続けた。

2人は番茶をたっぷり飲むと、ひとりがリヤカーを引き、もうひとりが押して、家へ向かった。

マリ子たちもすぐに、空っぽのやかんを乳母車に乗せて、家に戻った。日はぐんぐん高くなり、気温もじりじり上がってきた。寺の裏山からは、セミの声がやかましくひびいていた。

日傭さんたちは、リヤカーの〈なま〉を道ばたのなわの上につぎつぎに干し広げていた。それから、庭先に朝干したイグサを、はしから順に裏返して いた。

こうして裏返しては、3日間天日にさらして、表も裏もかわいたら、束に して、納屋にしまいこむのだって。

台所では、おばあさんが昼の用意をしているところだった。

「暑かったじゃろう。汗をふいて、サイダーでも飲みねぇ。まずはおむつをかえてな」

おばあさんの物言いは、じつに上手だった。命令にはきこえないのだ。マリ子は居心地よくすぐに言った。

「はい、うちがやります」

なんだかわくわくして、マリ子はへやのすみに重ねてあるおむつを、ひと組取ってきた。

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