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5章-(7) 旅を終えて(最終回)

もうひとつ、気がかりが残っていた。あの時からもう30年近くが経つのに、時折ひょいと思い出しては、夫にも「あの人どうなってるかしらね」と、問いかけたものだ。

それは、あのビタミン博士のこと! 生きておいでなら、もう90近いの  では・・。あの時30粒以上の薬を1日3回飲み続けている話をし、実際、私の目の前で、あっという間に全粒を丸呑みするみたいに、飲みこんでみせた。あんな飲み方をして、しかもあの数の多さを続けていては、かえって  体に害となって、早死になさったのでは、と思えてならない。

(私は恥ずかしいことに、薬を飲むのがなんとも苦手で、ひと粒飲むのに、 10回以上も水を飲み直し、なんとか喉を通させたいのに、なぜか口の中に残ってしまって、まだ飲めない、とジタバタしてしまう。2粒いっしょに  なんて、とても飲めない。だからこそ、ビタミン博士の30粒丸呑みに、  サーカスを見たように驚いてしまったのだ)

彼の生死を確かめるすべがないのが、実に残念だ。夫も私も、彼とは一度  だけ最後の別れのパーテイの時に、間近で話し合い、彼の存在を知ったのみで、名前も住所も訊かないままになってしまった。会の人たちの名前と住所録のようなものは、渡されてはいないので、その点でも、連絡のしようがなかった。

彼自身は、双子の兄に対抗して、自分の方が若々しく長生きできるだろう、と予言していたのだから、その結果を知りたかったのだけど・・。ほんとに長生きされていて、信念を通されたのだとわかれば、感嘆の大拍手を送りたいと思っているのだけど・・。


20数年前の旅の話なので、亡き夫が若いけれど、少し情けない姿で何度も登場したせいなのか、最近の夢によく出てきたり、私の寝息とは違う息遣いが聞こえたりして、身近にいるのを感じていた。ある日、昼寝をしていたら、私の十畳の部屋の戸口で「○○○!」とはっきり私の名を呼ぶ声がして立っている姿がくっきり見えて、はっと目を覚ました。
もちろん戸口には、誰もいなかったけれど、こういうこともあるのだ、と いつまでも心に残った。



思いがけなくオランダの〈ナイメーヘン〉という町へ、旅をすることになった話を、長々と読んで下さって、有り難うございました。大きな出来事が あったわけでも、強烈な場面を目撃したのでもない、日常のレベルの話で、退屈なさったのでは、と案じつつ帰国までを綴ってしまいました。それでも
最後まで読み進めて下さって、有り難いことでした。

その後は次のような旅をしましたが、日記やメモ程度で、きちんとプリントアウトしたのは(2)のみです。

●(1)1998年 5月28日~6月7日 『ポーランド数学学会への旅』
   (これはオランダ行きの2年後の旅だが、ロシアとドイツに長年苦しめられた傷跡から立ち直れていない様を、あちこちで見ることになり、オランダ との差がありすぎて、語るのも辛い思いがある。その国が現在、ウクライナからの避難民を多く引き受けているニュースを見るたびに、少しは国力を 取り戻したのだろうかと、気になっている)

●(2)1998年 6月17日~6月27日 『イギリス〈時〉の旅ー物語の舞台を訪ねてー』・・・(これは2年以上にわたり、勉強を続けた後に、現地を訪れる期待と喜びに満ちた旅だった)

●(3)『スウェーデンの大学寮へ2週間、夫と共に招待され』

『合閒のひと休み』を数編入れた後、しばらく休筆させて頂きます。皆様 どうかお元気で、これからの厳しい夏を乗り切ってくださいますように! 
もし気力が残っておりましたら、いずれ(2)か(1)を載せるかもしれ  ませんが・・。

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